「宇宙月間に考える技術者の倫理〜大事故の背後に共通課題が見える」(2012年9月13日初稿;9月19日改定稿掲載)

 9月12日は「宇宙の日」だ。この日から10月上旬の「世界宇宙週間」までの1カ月は「宇宙の日ふれあい月間」とされ、宇宙航空研究開発機構JAXA)など関係機関で様々な催しが行われている。宇宙ファンにとっては楽しみな時期である。
 宇宙開発には明るい未来を感じさせる。しかし、当然ながら、その裏側には、苦闘もあれば悲劇もある。近年、大学の工学系教育においては、技術者倫理の重要性が増している。関連する授業において、必ずといってよいほど例示されるのが、1986年1月28日に起きたスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故である。7人の犠牲を出した惨事であり、日本人宇宙飛行士に対しても少なからぬ影響を与えた。
 一方、私たちは、福島第一原発事故において、高度な科学技術に支えられたシステムが崩壊していく様を目の当たりにした。強く印象づけられたことはいくつもある。些細な要因が大事故を引き起こすこと、事前に危険を訴えていた科学技術者がいたこと、データがないことを都合良く解釈してしまうこと、技術の信頼性を越えたところで判断されてしまうこと…などなど。実はこれらは福島第一原発事故特有の現象ではない。チャレンジャー号事故に数多くの類似点がある。両者に共通する課題をつきつめていくと、技術者としての責務と強い自覚、それを支える社会における技術者の立場や地位に思い当たる。

 まず、チャレンジャー号事故の経緯を振り返りたい。宇宙の日は国際宇宙年だった1992年に制定され、公募によって9月12日が選ばれた。92年9月12日は、毛利衛宇宙飛行士がスペースシャトルで宇宙へ飛び立った日である。
 毛利(敬称略で失礼します:以下も同様)が宇宙に飛び立ったことは大変な快挙であり、私も胸を躍らせた。ただ一点、「日本人初の宇宙飛行士」という報道のされ方が気になっていた。日本人初は秋山豊寛ではないのか、という疑問である。1990年12月2日、TBSのジャーナリストだった秋山は、TBSの特別企画として、旧ソ連のバイコヌール宇宙基地から飛び立ち、8日間、宇宙ステーション・ミールに滞在した。その様子は全国放送されていた。
 現在では両者の業績とも正当に扱われているように思われるので、当時の報道について、ここで論じるつもりはない。事実だけを記せば、当時、日本人として初めて宇宙に飛び立つのは、既定路線として、毛利だったことである。1985年、宇宙開発事業団NASDA(現JAXA)は宇宙飛行士候補の募集を始め、この年、1期生として毛利衛向井千秋土井隆雄の3人を採用した。これに対して秋山は、1989年にTBSの企画として社内から選抜されている。秋山は翌年に宇宙に飛び立つことになるが、本来ならば、この時点ですでに、先行していたNASDAの宇宙飛行士が宇宙に行っているはずだった。ところが、チャレンジャー号の事故によって米国航空宇宙局(NASA)の宇宙計画は大きく遅滞し、NASDAの宇宙飛行士の出番も先送りされてしまったのである。

 チャレンジャー号の事故は、モートン・チオコール社が担当していたO(オー)リングと呼ばれる部品の不具合によって起きている。Oリングは燃料ガスの漏えいを防ぐためのものであり、ここに不備があると貯蔵タンク内の燃料に着火して爆発が起こる。担当した技術者たちは、Oリングの性能が温度とともに低下することを知っていた。これまでで最大の漏えいは11.7℃で起きていた。これに対して、チャレンジャー号の打ち上げ予定時刻の気温は氷点下3.3℃と予想された。これまでのスペースシャトル打ち上げでは経験のない低温だった。
 発射前日の夜、技術者たちは発射の延期を求めた。予定を遅らせたくないNASAはチオコール社の打ち上げ中止勧告に対して再検討を要請した。チオコール社の最終判断は4人の経営陣にゆだねられた。副社長はNASAの意向に沿う形で「経営的判断として」中止勧告の撤回を主張した。4人の中に入っていた技術責任者のロバート・ルンドは、Oリングと気温の関係を説明した。ところが、危険になる正確な温度が確定できていなかった。そこを副社長につかれ、「技術者の帽子を脱いで経営者の帽子をかぶりたまえ」と説得された。結局、全員一致で中止勧告の撤回が決定される。
 そのことを知った技術者の一人、ロジャー・ボイジョリーは動転した。技術者たちにはスペースシャトルに乗る人たちの安全を保証する責務があった。ボイジョリーは経営者たちに最後まで訴えかけるが、決定が覆ることはなかった。そして、発射から73秒後、チャレンジャー号は7人の命とともに散っていった。

 二人の技術者、ルンドとボイジョリーの行動は見事なまでに対照的であるが、興味深いことに、両者はともに、事故後、不遇に陥ることになる。ルンドは経営者側についたことを非難される。逆に技術者を貫いたボイジョリーは、事故を回避しようとした努力に対して米国科学振興協会(AAAS)から「科学の自由と責任」賞が与えられる。しかし、社内では孤立し、事故調査委員会に資料を提出したことが内部告発とみなされ、退社を余儀なくされてしまうのである。

 技術者のモラルをどうとらえるか。昨今、政財界からは、大学教育に対して、海外に対抗できる「強い技術者」の育成が要望されている。教育の現場においては、それよりもまず、モラルの高い技術者を養成することが大切なのではないかと感じている。技術者が組織や社会にどれほど関わっていけるか、関わらないといけないのか。一般に、技術者は裏方であるイメージが強い。しかし、部品一つで人命が失われる可能性がある。技術者にはそれだけの自覚が必要である。また、社会の側も、技術者に対して、説明責任等の責務を要求するとともに、安定した生活を保つには技術者の貢献が不可欠であることを認識し、その貢献にリスペクト(尊敬の念)を持つようになってもらいたい。東日本大震災以降、そういう思いが強くなっている。