ノーベル賞続出でも改革し続ける教育行政:「Vision」はどこだ?(2012年10月25日初稿;11月5日改定稿掲載)

 山中伸弥教授のノーベル賞受賞決定で、2000年以降の日本の受賞者は、現在は米国籍になっている南部陽一郎博士を含めて11人になった。列挙すると、次のようになる。

 2000年 白川英樹(化学賞)
 2001年 野依良治(化学賞)
 2002年 小柴昌俊(物理学賞)、田中耕一(化学賞)
 2008年 南部陽一郎小林誠益川敏英(物理学賞)、下村脩(化学賞)
 2010年 根岸英一鈴木章(化学賞)
 2012年 山中伸弥(医学・生理学賞)

 実に壮観である。次は誰か? そう考えることが楽しくなってくるほどであり、逆にいえば、私たちはノーベル賞にかつてほどの熱狂や感動を感じなくなってきているほどである。
 ただし、この状況は、世界的にみると、際立って特異である。自然科学3部門における日本の受賞者は16人であるが、非欧米圏の国・地域で10人を越える受賞者を出している国は日本しかなく、その数も突出している。産業分野では押され続けている中国や韓国がノーベル賞受賞を悲願としているのと対照的である。
 これをみると、日本の教育組織は十分成熟していると考える方が自然である。しかし、日本の教育行政は、この事実を直視していない。日本人は自らの欠点には敏感で、長所には懐疑的であったりする。その結果、欠点ばかりを指摘し、20年にわたって「教育改革」が続けられている。
 私は山中教授と同年生まれなので、当時の教育環境を共有している。国立大学では一期校・二期校の制度が廃止され、共通一次試験が導入された。それまで国立大学は2大学受験できたものが、1大学に限られた。しかも、共通一次試験では5教科7科目が全受験生に課せられていたため、その点数によって、各大学は明確に序列化された。そういう時代である。偏差値偏重が問題視され、これでは応用研究は育っても、日本からは独創的な基礎研究は生まれないという議論もよく耳にした。
 しかし、その世代からノーベル賞受賞者が出たのである。当たり前のことではあるが、教育の成果が表れるのは20〜30年後である。近年、日本のグローバル化が遅れているからといって、行政は、それを緊急の課題として教育現場のグローバル化を進めようとしている。それはいかがなものかと思う。教育というのは、10年単位の長期展望のもとで考えるべきものである。山中教授が留学時代の恩師から受けた言葉でいえば「Vision」である。

 なぜ、日本からこれだけの数のノーベル賞が出ているのかを考えてみたい。それは、教育の原点が「人」だからである。少なくとも私はそう思っている。日本の基礎研究の環境が良くないことは昔から言われてきているし、実際にそうであることも多い。しかしながら、ノーベル賞の対象となった研究成果は、ほとんどが日本において行われたものである。意外に思われるかもしれないが、海外での研究成果がノーベル賞の対象になったのは、おそらく、利根川、下村、根岸、それに加えて日米での研究活動が渡米後に実を結んだ南部の4氏だけである 。さらに重要なことは、受賞者のほとんどが、日本を拠点に研究を続けたことである。
 ノーベル賞が同一の研究所から生まれやすいことは良く知られている。理由は明快で、身近にお手本となる人がいて、お手本となる研究課題が備わっているからである。典型的な例が湯川秀樹である。湯川の日本初のノーベル賞受賞は、机を並べていた朝永振一郎を刺激し、京都大学の学生を興奮させた。そして、日本において素粒子物理の研究が隆盛し、時を経て、2008年の南部、小林、益川3氏の受賞へとつながっていく。益川教授がノーベル賞受賞の際に「坂田先生がノーベル賞をもらえなかったのは、弟子である私たちがだらしなかったからだ」と述べたのは象徴的である。坂田先生とは、湯川、朝永とともに同分野の第一人者として名古屋大学に拠点を形成した坂田昌一のことであり、益川教授の言葉には、師弟のつながり(教育のコミュニケーション)を強く感じる。
 日本にはノーベル賞候補と目されている人がまだ少なからずいて、学生や若手研究者らとともに活躍している。たとえご本人が受賞されなくても、その周りから受賞者が出る可能性も大きい。

 日本の基礎科学研究も100年の歴史を持ち、ここまで成熟していることに、行政はもっと目を向けるべきであり、日本の教育制度にも自信を持つべきである。欠点の克服ばかりを指示されれば、現場が疲弊していくことは当然である。特に、うまくいかなかったときの徒労感ははかりしれない。
 では、何をすればよいのか?
 私の回答は、何もしなければいい、である。この20年間の教育改革が現場の教員に何をもたらしたかといえば、教育時間と研究時間の減少である。このことは文科省でも把握している事実である。より良い教育・研究を行うためには、教員と学生のコミュニケーション時間を増やすことこそが大切である。ところが、組織の改編ばかりを行っていて、その時間は年々減少している。
 乱暴な言い方かもしれないが、この20年間、行政指導に従って、多くの大学が「改革」に奔走させられている。そこには、往々にして、有能な教員が駆り出される。努力されている方々には申し訳ないけれども、それはちょっとした悲劇であり、日本の教育界にとっては大きな損失である。