「SPEEDIのデータ非公開に翻弄された研究者たち 2011年12月28日」の初稿

活かされなかったSPEEDI (2011年12月24日脱稿)

 12月23日、文部科学省は、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム「SPEEDI」(http://www.bousai.ne.jp/vis/torikumi/index0301.html)のデータ公表が遅れたことについて、「当初から公表する必要があった」ことを認めた。今さらの感はぬぐえない。非難を余儀なくされた方々の心中は、察して余りあるものがある。

 当時の状況を振り返ってみると、SPEEDIをめぐって、興味深い事実が浮かび上がる。
 SPEEDIの稼働が公にされたのは、原発事故発生から10日経った3月21日である。当時の報道によれば、国は「データが粗く、十分な予測でない」とし、「データの公表もしない」とされた。これに対して批判が続出し、最終的に、4月末になって全面公開されている。
 公開されたデータ(http://radioactivity.mext.go.jp/ja/monitoring_around_FukushimaNPP_monitoring_out_of_20km/2011/03/1303726_1501.pdf)をみると、文部科学省放射線調査が見事に放射線量の高い地点から開始されていたのである。それは、SPEEDIの有効性を如実に表していた。

 その結果をみて、複雑な思いを持った研究者がいた。東工大の牧野淳一郎教授である。牧野教授は、SPEEDIが明らかにされる前の3月19日に、個人的なつてを頼って、文部科学省に提言のメールを送っていた(http://d.hatena.ne.jp/yayoi_2011/20111112/1321075416)。「放射線量の高いスポットがある危険性」や「気象情報を用いれば予測が可能なこと」、そしてそのシミュレーションに対応でき得る研究機関の紹介を行っている。
 そのメールは無視された。当時の混乱した状況では、返信する余裕などなかったことは十分に推察される。しかし、「SPEEDI」が順調に稼働している状況では、そもそも、文部科学省にとって、牧野教授の提言は必要なかったともみてとれる。

 同じ頃、牧野教授のメールにもあるように、アカデミックの中では最も活躍が期待されるはずの日本気象学会で、不思議な通達が発せられた。3月18日付の学会理事長から会員に宛てられた「北地方太平洋沖地震に関して日本気象学会理事長から会員へのメッセージ」(http://wwwsoc.nii.ac.jp/msj/others/News/message_110318.pdf)である。内容を要約すれば、「放射性物質の拡散については国が情報を提供するので、個々人では発表しないように」という注意喚起であった。
 科学技術者の自粛を明文化したものであり、私は個人的に、大変大きなな憤りを感じた。
 ところが、学会理事長がSPEEDIの稼働状況を把握していたとすれば、このメッセージも納得できるところがある。4月12日に発表された上記メッセージの追記(http://wwwsoc.nii.ac.jp/msj/others/News/MSJPresidentMessage110412.pdf)にもあるように、防災に関わる情報の公表は、信用できる情報に一元化するべきだという原則(One Voiceの原則)があるからである。
 3月18日のメッセージを注意深く読み直してみれば、「文部科学省等が信頼できる予測システムを整備しており、その予測に基づいて適切な防災情報が提供されることになっています」と明記されている。これがSPEEDIをさしていることは間違いない。

 日本気象学会にとって誤算だったのは、「提供されることになって」いたはずの情報が文部科学省から発信されなかったことである。「One Voice」が「No Voice」になった。そのため、学会メッセージに批判が殺到した。

 今回の大震災に直面して、科学技術者が自粛し、本来の役割を果たせなかった事実は、おそらく、間違いない。ただし、真摯に対応しようとした人たちが少なからずいたことも、また事実である。そういう人たちが翻弄され続けたエピソードの一つである。

 今回の発表では、どの段階でSPEEDIの公表に規制が入ったのかまでは明らかにされていない。詳細な検証については、追って公表されるとのことである。今後のためにも、真摯な検証をお願いしたい。