「ゴール到達寸前に来た素粒子物理学―ヒッグス粒子までの道 2012年01月06日」の初稿

ヒッグス粒子にみる20世紀物理学の系譜 (2011年12月16日脱稿)

 ヒッグス粒子の存在が示唆された。20世紀に構築された素粒子物理の「標準理論」が完成する日も近いようである。
 学生の頃、私は、南部陽一郎の書いた「クォーク素粒子物理の最前線」(1981年 講談社ブルーバックス)という本を、胸を熱くさせながら読んだ。当時の物理学の花形は「素粒子論」であり、それを背景にした「宇宙論」だった。自分の存在しているこの世界がどのような理論で成り立っているのかが解明される日も近いのではないか。そんな興奮が息づいていた。「その時」が来たとき、たとえ自分が貢献していなくとも、その感動を実感できる立場にはいたいと願った。そして、紆余曲折しながらも、大学院で宇宙物理学の研究室に進学した。
 ここでは、ヒッグス粒子のニュースを契機に、20世紀の物理学を振り返ってみたい。

 現代物理学は20世紀とともに始まった。1900年にマックス・プランク(1958-1947)が「量子仮説」を発表して、現代物理学の二本柱の一つである「量子力学」の幕を開け、1905年には、アルベルト・アインシュタイン(1879‐1955)が「特殊相対性理論」を発表して、もう一つの柱である「相対性理論」を創始した。
 プランクは学生時代、指導教官に物理学を専攻したいと相談したところ、「物理学はすでに終わっている学問だから、何もすることはない」と諭されていた。この頃までに、物理学はアイザック・ニュートン(1642‐1727)に始まる「ニュートン力学」で体系付けられていたからである。
 物理学は、学問的には閉塞状態にあった。ところが、「量子力学」と「相対性理論」によって、革命的な進展を遂げる。
 光速に近づくと時間が遅くなり、強い重力があると光も出てこられないブラックホールができるなど、相対性理論はものの見方を根本から変え、一般にも大きなインパクトを与えた。
 量子力学は、ミクロな世界を正しく認識できるようにした。相対性理論ほどのインパクトを感じないかもしれないが、半導体をはじめ、現代社会の様々産業にも根付いており、実際の影響力は相対性理論よりもはるかに大きい。
 「素粒子物理学」は「量子力学」と「相対性理論」が融合して開花した現代物理学の花形である。100年前までは原子の構造もわからなかった。「素粒子物理学」は根源となる構成粒子を明らかにし、今まさに、一応のゴールに到達しようとしている。

 ちなみに、昭和の初め、現代物理学をヨーロッパから日本に持ち込んだのは仁科芳雄(1890‐1951)である。仁科自身は東京帝国大学の出身であったが、特別講義などを通じて、京都帝国大学に物理学革命の興奮を伝え、京大物理学の源流となった。
 そこにいたのが湯川秀樹(1907‐1981:1949年ノーベル物理学賞)であり、朝永振一郎(1906‐1979:1965年ノーベル物理学賞)だった。その後輩に坂田昌一(1911‐1970)がいて、名古屋大学坂田学派を形成した。
 坂田のもとで大輪を咲かせたのが小林誠(1944‐:2008年ノーベル物理学賞)と益川敏英(1944‐:2008年ノーベル物理学賞)である。同年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎(1921‐)は、朝永のグループで研究を始めた後、大阪市立大に素粒子研究の拠点を立ち上げ、1952年にシカゴ大学に移っている。「標準理論」に大きく貢献した物理学者として高く評価されている。
 また、宇宙から来るニュートリノ素粒子の一つ)を観測したことによって2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊(1926‐)も渡米に際して朝永に推薦文を書いてもらうなどの関係がある。
 このように並べてみると、驚くべき事実がわかる。江崎玲於奈(1925‐:1973年ノーベル物理学賞)をのぞくと、日本のノーベル物理学賞受賞者はすべて(上述ですべて)素粒子物理学のグループから出ている。まさに20世紀は「素粒子物理学」の最盛期であり、日本人物理学者が躍動した時代だったことがわかる。

 21世紀の今日、20世紀にモデル化された大変重要な理論が実証されようとしている。ヒッグス粒子の存在が明らかになれば「ノーベル賞級の業績」とも報道されている。
 最初に、私は、南部陽一郎の本を読んで高揚したと書いた。しかしながら、30年を経た今は、それほどの感情は起きてこない。それはおそらく、あまりにもビッグサイエンスになってしまったからだと思っている。今回の実験に使われた欧州合同原子核研究機構(CERN)の加速器は5000億円の費用が投じられ、日本からも100人の研究者が参加しているそうである。予算が多い方が勝つというのは、科学の魅力を減じてしまう。
 南部陽一郎の本に高揚したのは、登場してくる人々が個人名で語られていたからでもある。今日のビッグサイエンスでは、グループ名で報道されることが多い。
 「標準理論」が完成しても、私たちの世界の解明は、まだ遠いようである。「素粒子物理学」は、次の段階へと進むだろう。そのときの主役は誰か?予算の威力を超えた人の英知に期待したい。