理性の資質をアップし終えて
私はどちらかといえば筆が遅い方で、一つのメール(しかも短文)を書くのに30分もかかることがよくあります。ですから、4月からたった3ヶ月で書きあげた文章は推敲も十分ではなく、人にお見せできるものではなかったかもしれません。
ですが、大震災に直面して感じたことをそのままにしておくことは、どうしてもできませんでした。そのまま時が過ぎるのを待っていたら、きっと後悔すると思いました。どんな形でも、人目につかなくても、発信しようと思いました。そこで、初めてブログというものを立ち上げてみました。
ブログは静かに始まりました。
ところがある日、PVが一気に跳ね上がりました。調べてみると、牧野さんがリンクを貼ってくれたことがわかりました。震災当初は「専門家」ではなかった(と思います)牧野さんは、今では、強力な発言力を持つ第一人者になっていますので、当然といえば当然ですね。
そうしますと、読者の大半は原発問題に関心の高い人たちだな、と思いました。そこで、なるべく急いで全編をアップすることにしました。牧野さんの日誌でもっとも重要なところは震災後1週間くらいまでであり、もっとも格好良いのは本編の最後のセリフだと私は思っているからです。
ただ、私自身の趣旨は少し違ったところにあります。
私は、自分自身が原発問題で発言する立場にはないと思っています。もちろん、個人的な考えはあります。しかしそれは、公的に発言するレベルに達しているとは考えていません。
本書の主題は、かみ砕いていえば、「科学者とは何か?」というものです。
私が科学者を志したのは高校生のときです。時代を作ってきたのは、歴史の教科書に出ているような政治家ではなく、社会を変えてきた科学者であり、もっとも格好良いように思ったからです。
大学生になって、「栄光なき天才たち」を連載する機会を得て、その思いは一気に高まりました。
「科学者とは何か?」という命題は、おそらく、私のライフワークになっているように思っています。
ただし、本書では少々「科学者」の枠をはみ出してしまいました。
文章というものは、読み手に主導権があります。書き手の趣旨とは無関係に、本書を自由に活用して頂ければ幸いです。
最後に、公開日誌を自由に(好き勝手に?)使うことを許可してくれた牧野さんに感謝したいと思います。