「東京を救ったのは菅首相の判断だったのでしょうか?(2012年04月03日)」の初稿

東京を救ったのは菅首相の判断だったのでしょうか? (2012年3月26日脱稿)

 3月9日付で公開された竹内敬二さんの論考「東京を救ったのは管首相の判断ではないか」(http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2012030800005.html?iref=webronza)が、このところ、ずっとアクセスランキングの上位にある。注目されている証しだ。読者の反応が「YES」なのか「NO」なのかはわからない。ただ、私自身は、この論考のタイトルを見たとき、「それはさすがに言い過ぎではないかな?」と思った。他の人はどんな意見を書くのかと見ているのだけれど、一向に掲載される気配がないので、自分の意見を述べることにした。

 経済産業省原子力安全・保安院福島第一原発事故を評価レベルとして最悪のレベル7へ引き上げたのは、震災発生から1ヶ月経った4月12日である。この日を契機に、私は大震災で感じたことを文章に書き始めた。記憶が風化しないうちに、「そのとき」を書き留めておく必要を感じたからである。
 その中で、管首相が東京電力に乗り込んでいったことについても記載した。「残念ながら、そこに理性は感じられない。実際に、事故現場で命をかけて闘っている人々がいる中での発言である」と酷評した。さらに、次のように続けた。
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 この背景について、朝日新聞3月16日朝刊3面に、次のように報道されている。「首相の元にはある閣僚経由で『東電側が福島第一原発からの社員引きあげを検討している』との情報が寄せられていたのだ。首相は先手を打ってクギを刺したのだった。首相周辺は『東電にすべて任せていたら、勝手に作業を打ち切ってしまいかねない。それを防ぐには政府が乗り込むしかない』」
 そういう意図を印象づけるためのパフォーマンスだったのかもしれない。しかし、指揮系統のトップであれば、感情的な姿勢を見せるのは、逆に周囲に不安を与えかねない。事故対策において、冷静さは第一条件だからである。
 作業現場では人命が関わっている。当然ながら、「全員撤退」という事態も想定しておく必要がある。
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 現在、東京電力が「全面撤退」と言ったか言わなかったかが論点の一つになっている。あの当時、言葉じり一つが、それほど重要な問題だっただろうか。人命がかかっているので、たとえ「全面撤退」と発言してもおかしくはないし、そう発言したからといって、対策を放棄できる状況ではなかったはずだ。「国難」なのである。
 竹内さんの文章に、「菅首相は、『もし、撤退したら、1〜3号機の原子炉と4号機の使用済み燃料プールは制御できなくなって順番に爆発し、放射能が飛散して、東京までも避難することになる。チェルノブイリどころではない』といい、東電に断念させた」とある。ところが実際は、撤退するしないに関係なく、管首相が東電に乗り込んで激こうした直後に、2号機が爆発し、続けて4号機が爆発した。
 この日、東京電力は、「福島第一原発から約50人を残して作業員が避難した」ことを発表し、厚生労働省経済産業省は、作業員の被曝線量の上限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げている。250ミリシーベルトを超えると急性放射性障害が出る可能性があるといわれており、人命に影響するほどの、ぎりぎりの上限設定であった。

 人の記憶はあいまいである。これだけの混乱の中で当時思考していたことと、十分に時間が経って冷静になり、しかも全体像が認識できた後に振り返った感想が同じものである保証は何もない。また、意識はしていなくても、人の記憶は都合良く解釈され、整理されることも否定できないだろう。聞き取り調査というのは、裏付け調査も必要である。

 こういう文章を書いていてお叱りを受けるかもしれないが、私は「民間事故調」を読んでいない。この調査報告書は、不思議なことに、当初、非売品とされた。それが一転して、「できるだけ多くの方に読んでいただけるよう」、2012年3月11日に緊急発売になる。そのプロセスがどうも納得できず、購入意欲を一気に失わせた。
 幸いなことに、「民間事故調」の記者クラブで行った会見がインターネットで見られる。北澤宏一委員長の発言は、管首相の功績として東電の全面撤退を防いだことを上げ、一方で、その他の介入のほとんどが機能しなかったというものであった。

 私は竹内さんと面識があるわけではないし、論争したいわけでもない。これまでの竹内さんの記事を拝見した限りでは、論旨が揺れているわけでもないので、こういう考え方もあるものと、私がWEBRONZAの執筆を引き受けていなければ、読み流していただろう。ただ、私も執筆陣に名を連ねている以上は、異なる意見を抱えたままでいるのも、どうも落ち着きが悪い。文中の私の文章は、昨秋から個人的なブログで公開しているので、興味がおありの方は検索して頂ければ幸いである。