「米原子力規制委員会の福島事故議事録からの教訓(2012年02月29日)」の初稿

福島原発事故−判断しないよりまし (2012年2月23日脱稿)

 2月21日、米原子力規制委員会(NRC)は、福島第一原発の事故発生から10日間の議事録を公開した。1〜3号機のメルトダウン炉心溶融)や4号機の使用済み核燃料プールの危険性などが指摘されて、日本政府が20キロ圏に避難指示を出す中、アメリカは早々に半径50マイル(約80キロ)圏の避難勧告を出した。その状況が明らかにされた。
 実は、今回の開示内容は、それほど驚くものではない。リアルタイムで報道されてきた事実と大きく異なるものではないからである。ただし、今後の教訓という意味でも、当時を振り返っておくことは大切だと思われる。

 東日本大震災に対する世界各国の支援は迅速だった。3月13日(震災3日目)早朝には、アメリカは海軍太平洋艦隊の原子力空母ロナルド・レーガン福島第一原発から北東約180キロに派遣し、「トモダチ作戦」と称して支援活動を開始した。
 ところが、福島第一原発からの放射能漏れが検知され、翌14日には活動を一時停止し、避難している。計測された放射線量は数十マイクロシーベルトで、通常時の100倍以上であった。
 このとき、NRCの予測通り、1〜3号機のメルトダウンは進んでいた。私たちがその事実を知るのは2カ月後である。
 さらにNRCの懸念は当たり、15日早朝には4号機が爆発した。当初、4号機の爆発は意外に思われた。地震発生時、定期検査で停止中だったからである。ここで私たちは、使用済み燃料棒を冷やすプールの存在を知る。しかも、燃料棒の入ったプールは原子炉格納容器の外にある。稼働中の燃料棒は「圧力容器」「格納容器」「建屋」の三重で封印されている。ところが、プール中の燃料棒を囲っているのは建屋だけである。4号機は、「安全」から一転、もっとも危険な状態に陥った。

 翌16日の朝日新聞には、次のような記事が掲載されている。
 「これから何が起きるのか。○○教授は『チェルノブイリ事故との比較は難しい。これから何が起こるのかはわからない』という。専門家にとっても未知の領域に入りつつあるといえる」
 この頃から、私たちは自分自身で物事を考えなくなったような気がする。情報は求めるけれども、自分の頭は使わない。正確には使えなくなってしまったというべきだろうか。経験したことのない事態に、思考停止状態になってしまったのではないかと思うのである。
 マスコミも当初は、的を射た報道をしていた。例えば、朝日新聞3月13日朝刊1面の大見出しには「第一 1号機 炉心溶融、建屋損傷」とある。15日には「2号機 炉心溶融 燃料棒露出、空だき」と続く。根拠は原子力安全・保安院の見解にあった。事故直後の3月12日、「1号機で炉心溶融が進んでいる可能性がある」と発表していた。WEBRONZAでも、高橋真理子さんが3月14日付で「公開情報で放射能汚染を監視しよう」(http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2011031400007.html)という貴重な提言をしている。
 それが数日後には、「炉心溶融」の事実が報道から消えていく。
 最近まで私は、どこかで情報統制があったのか、報道局が自粛してしまったものと考えていた。ところが先日掲載された大鹿靖明さんの論考「『メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故』を執筆して/ジャーナリズムを考える」(http://astand.asahi.com/magazine/wrbusiness/2012022000009.html?iref=webronza)を読んで、見方が変わった。納得し、失望もした。「記者会見での記者たちが、隠されている事実を暴き出そうとするといった挑戦的なものではなく、教えてもらう、おたずねするといった腰の低いものだった」からである。記者もまた、大惨事に直面して、自分で判断することを放棄してしまったのではないだろうか。

 NRCの予測は、すべてが正しかったわけではなかった。半径50マイル(約80キロ)圏の避難勧告が「十分な科学的評価に基づく」ものではなかったことを3月末に明らかにしている(http://www.asahi.com/international/update/0408/TKY201104080386.html)。勧告の経緯が「福島第一原発2号機の核燃料が100%損傷し、放射性物質が16時間放出される『深刻な放出』を想定したシナリオ」にもとづくものであったと報道された。実際にはそれほどの事態に達することなく、3月30日においてのNRCの見解も「現在得られているデータは、安全距離が約20マイル(約30キロ)であることを示し続けている」というものであった。

 興味深いのは、そのときのNRCの幹部の発言である。「緊急事態では、限られたデータで判断を迫られるときがある」「判断をしないよりましだ」
 思考を止めないことの重要性を端的に示す言葉であり、自戒を含めて、胸に残った。