第8章 避難後の命

放射能汚染

【3月19日】(震災9日目)

福島県発表(福島県のホームページ資料「緊急モニタリング検査結果について(福島県・原乳)」より)だと川俣町。これは文部科学省測定だと 5uSv/h くらい。で、牛乳中の値は規制値の3倍。ちなみに、ウィンズケールの時のイギリスの規制値は今回の暫定規制値の1桁上。文部科学省の測定ポイントになってるところだと全部ひっかかる計算になる。

•1000Bq/kg と 5uSv/h に関係はつくか、というと、5uSv/h = 60Ci/kmsq = 2e12Bq/kmsq = 2e6Bq/msq。10平方センチ分?計算あってる感じだなあ、、、

•今回の検出は 1000Bq/l レベルで、 ウィンズケール事故の時の規制値(高度情報科学技術研究機構のホームページ資料「英国ウィンズケール原子力発電所事故における放射線被ばくと防護対策活動」より)と同じオーダー。わずかな放射能なんていっちゃ駄目だと思う。

•ホウレンソウのほうは 15000Bq/kg とのこと。

 この日、農産物で食品衛生法の暫定規制値を超える放射能が検出された。例えば、牛乳の規制値は1キロあたり300ベクレルであるが、900〜1500ベクトルの値が検出されている。
 牧野は、検出された放射能と観測されている放射線レベルの確認を行っている。ここでも活用しているのが、牧野が自力で導いた次の換算式である。

1Sv/h = 12Ci/m^2

 牧野の記述では、日誌の流れからか平方キロメートル(km^2)に変換した式から出発しているが、ここでは原乳の狭い範囲を対象としているので、平方メートル(m^2)の式から素直に計算した方がわかりやすい。
 マイクロ(μ)は100万分の1(10^{-6})をあらわすので、

5μSv/h =(5×10^{-6})×12Ci/m^2 = 60×10^{-6} Ci/m^2

となる。1キュリー(Ci)= 370億ベクレル(Bq)なので、

60×10^{-6}×370億 = 2.22×10^6(222万)Bq

より、

5μSv/h ≒ 200万 Bq/m^2

と書き換えることができる。

 次に、原乳に積もった放射性物質量を考えてみる。
 牛乳1キログラム(kg)は約1リットル(l)であり、立方体の大きさでいうと、10センチ×10センチ×10センチ(0.1m×0.1m×0.1m = 0.001m^3)である。
 搾乳の際の容器が100リットル程度とすると、例えば、50センチ×50センチ×50センチ(0.5m×0.5m×0.5m = 0.125m^3)の容器の容積は125リットルであり、重さでいうと約125キログラムである。
 放射性物質が上から降ってくるとして、立方体の上面50センチ×50センチ(0.5m×0.5m = 0.25m^2)に受けると仮定すると、

200万 Bq/m^2 ×0.25 m^2 = 50万 Bq

と計算される。これを125キログラムで割ると、1キログラムあたり4000ベクレルとなる。
 5マイクロシーベルトの環境においては、1000ベクレルの測定値が検出されたとしても不思議ではないことが、牧野の見積もりから、見て取れる。

放射能がくる」

 19日に発売された週刊誌「アエラ」(朝日新聞出版)は、後から見ればタイムリーであったが、当時は、世間から大きなひんしゅくを買った。表紙の写真が防毒マスクをかぶった人物の顔のアップで、そこに赤字で「放射能がくる」とかぶせてあったからである。


図9.「アエラ」2011年3月28日号表紙(3月19日発売)

 「恐怖心をあおってどうする」「インパクトばかり求めている」などの非難が相次ぎ、「風評被害を助長する」という批判が高まった。
 翌20日、アエラ編集部は、同誌のサイト上で、「編集部に恐怖心を煽る意図はなく、福島第一原発の事故の深刻さを伝える意図で写真や見出しを掲載しましたが、ご不快な思いをされた方には心よりお詫び申し上げます」という文書を掲載するに至っている。
 私も、インターネット上で同誌の表紙を見たときには、ちょっとやり過ぎなような気がした。しかし、発売翌日に「お詫び」という形で事態を収拾しようとする姿勢は、ジャーナリズムとして、いかがなものかと考えさせられる。

 今でも同じかもしれないが、私は、中学や高校の授業で「三権分立」を習った。行政(政府)、立法(国会)、司法(裁判所)がそれぞれ権力を担うことで、より公平な社会が築かれるというものである。さらに、現代においては、第四の権力として「マスメディア」があることを学んだ。30年以上も前のことである。
 現在、マスメディアは第四の権力としての機能を果たしているだろうか。憲法で明記された三つの権力を監視できているだろうか。
 少なくとも今回の震災においては、報道各社の活躍を見ることは、あまりなかった。
 特に、速報性と大きな影響力を持つテレビ各局が、一般社会の期待に応えられていなかったように感じられた。政府の発表に準拠した内容に解説を加えるような報道ばかりで、真実が伝わってこない。映像も同じものを、繰り返し、流した。
 テレビを見続けていた人の中には体調を崩す人も続出した。知人にも不調を感じた者がいて、心療内科を訪れたところ、テレビやインターネットを見ないように指導された。震災映像によるストレスが、震災地以外も含めた全国各地で増えていた。注意を呼びかける専門医の報道も日増しに多くなっていった。
 「テレビが地震報道ばかりでつまらない」と公言した企業もあった。残念ながら、営利と結びつく発言であり、多くの非難を浴びた。
 ただし、テレビの報道がつまらなかったのは、実感としてあった。
 
 本書は、本来、自粛すべきではない科学者・専門家の顔が見えてこなかったという疑問が一つのテーマとなっている。しかし、科学者や専門家以上に、もっとも自粛してはいけないものの一つに、一般社会から一定の評価を得ている報道各社がある。社会が真実を求めているときに、マスコミはどう動いていたのか。社説で「政府は正しい情報を迅速に出すように」と求めていた裏で、新聞記者は奔走していたのだろうか。

 では、「アエラ」3月19日発売号は、マスメディアの気概を示す渾身の内容になっていたのだろうか?
 「アエラ」について、牧野は3月28日にコメントを載せている。

福島原発の事故に関する限り、アエラ週刊文春もまあ特に嘘とか誇張がある感じはしなかった。アエラの表紙はまあアレな感じだったけど。

 私はリアルタイムで「アエラ」を読んではいない。4月になってから図書館で目を通した。内容は一般的であり、牧野の感想の通り、特に「風評被害を助長する」ものではなかった。
 逆にいえば、残念ながら、「表紙」に見合うような裏付け取材を行った形跡も見て取れなかった。

「日本を信じよう」

 アエラと対照的だったのが、同じ日に発売された「週刊ポスト」(小学館)である。表紙の写真が救出された赤ちゃんを抱えてほほえむ自衛隊員で、その上に「日本を信じよう」というタイトルがうたわれていた。
 ネガティブな「アエラ」に対して、「ポスト」がポジティブな内容だと評判になり、賛辞がインターネット上にあふれた。感動的な写真に、「いま何を考え、どう行動すべきか」「私たちは必ず力強く蘇る」などの見出しは、当時の民意を代弁していたようにも思えた。


図10.「ポスト」2011年4月1日号表紙(3月19日発売)

 ただし、注意も必要である。例えば、メンタルケアの重要性が高くなっている今日においては、「がんばろう」は使い方の難しい言葉だと指摘されることがある。すでに十分頑張ってきている人に投げかける、具体性のない「がんばろう」は、おそらく、その人の胸には届かず、場合によっては苦しめることもある。同様に、根拠のない「大丈夫」ほど大丈夫には思えない。
 今回の大震災においては、史上最高額の義援金が多方面から集まるなど、多くの人たちが具体的な「がんばろう」を行った。
 ところが、それらは必ずしも有効には機能しなかった。

避難後の命

 日本は世界有数の援助国である。援助する際の議論として、しばしば、「援助しても、必要なところにまで、資金や物資が届かない」という声を耳にする。
 理由は別にあるとしても、それと同じ状況が、先進国であるはずの日本でも起きていたのである。
 そして、あってはならないことが起きる。
 震災を生き延びた人が、避難所で亡くなったというニュースは、今回の大震災において、もっとも胸を痛めるものとなった。それも一人や二人ではない。例えば、3月23日の朝日新聞には「お年寄り 寒さ限界 気仙沼の施設10人死亡」「陸前高田15人死亡 施設間移動で体力消耗か」などと見出しされた。

 助かったはずの命が助からなかった。
 この事実は、もっと大々的に取り上げられるべきではないのかと思った。

 「ぼくたちは一人ではないんです」
 「がんばろう ニッポン」
 テレビから流れる、そういう言葉が、どこか、空々しかった。

歴史的政治家への道−政治家の理性とは

 こういう困難なときにこそ、英雄というものは生れるものである。
 今回の大震災において、最大の英雄になり得たのは、おそらく、谷垣禎一自民党総裁だっただろうと思われる。そのチャンスは3月19日(震災9日目)に訪れた。昼過ぎ、菅直人首相から「副総理兼震災復興担当相」としての入閣を要請されたのである。
 このニュースを聞いたとき、「引き受けることはないだろう」と多くの人が思ったはずだ。私もそうである。困った事態の丸投げであり、うまく対応すれば首相の手柄となり、うまくいかなければ責任を押し付けられることになりかねない。自民党にとっては、得なことは何もないように思われたからである。

 谷垣自民党総裁は「唐突な話」として回答を保留し、自民党本部で緊急役員会を開いた。案の定、全会一致で「拒否」が決定された。
 常識的な決定である。
 しかし、谷垣個人としては、歴史に名を残すチャンスを逃したことも、おそらく間違いのない事実であろうと思われる。

 今回の大震災が歴史的なできごとであり、そのときに活躍できる人は、偶然、その時代、その立場にいたほんの一握りの人物である。そこに谷垣自民党総裁がいた。
 もし谷垣が、損得勘定を無視して首を縦に振れば、国民からは驚きを持って歓迎されただろう。損を承知で行動できる人は、それだけで十分に格好が良い。明治維新坂本龍馬とまではいかないまでも、落ちるところまで落ちてきた政治不信を払拭し、一転して日本の政治力を結集できた可能性まで考えられる。
 結果によって扱いがどうなるかはわからないが、当然ながら、歴史の教科書の「東日本大震災」の項目には「谷垣禎一」の名がついて回ることは間違いないところだったはずだ。

 私は聞ける立場にもないが、谷垣自民党総裁の当時の偽らざる心境を知ることができるのならば、ぜひ知りたいところではある。

インターネットに偏重し始める情報源

【3月20日】(震災10日目)

 震災後10日間が過ぎても、政府や報道機関からは、なかなか情報が流れてこなかった。そのためか、インターネット上における情報が模索され始めていた。
 牧野の日誌も、中立の立場で科学的であるという評価で、注目され始めていた。
 そのためか、注文もつき始めてきた。

•もっとわかりやすく書け、というリクエストが、、、

 これまで見てきた通り、牧野の日誌は、読み込めば理解できるように書かれている。ただし、斜め読みでは真意をつかむことは難しい。
 わかりやすく書くことも大事であるが、リアルタイム性も重要である。このときの牧野には、それほどの余裕はなかった。
 回答コメントは次の通りである。

•それはちょっと後回し。

 仕方ないことではあるけれども、当時の状況とその後の認識を突き合わせてみると、個人的には大変残念な気もしている。

 牧野は15日(震災4日目)の日誌で、チェルノブイリ原発事故からの類推をし、次のようなコメントを残している。

•雨がふるとこれと同じかもっと多い量がどこかに降る。どこかは?

 その雨が20日夜半から21日にかけて、関東地方に降った。
 関東地方では、原発事故直後の15日を中心としたピークと、この雨による21日を中心としたピークの2回、高い放射線量を記録した。

【3月21日】(震災11日目)

•今朝 4-5時に大量に何かきたのと同時に雨に。で、ピークで 3 uSv/h、 3時間たっても 0.5-1.3 と自然レベルの 10-30倍のまま。

•「人体にただちに危険がある」レベルではもちろんない。但し、農作物には影響がでる。

•雨は 21日終日関東全域、22日 1時くらいから北西から段々はれる。

 この雨によって、後に「ホットスポット」と呼ばれる局所的に放射線量が高い地域が生じる。いくつかの農産物では規制値を超える放射性物質も検出され、一時的に出荷停止の指示が出された。
 農産物以上に影響が大きかったのが水道水である。放射性物質を集めるように流れ込んだ雨水で、都内の浄水場から供給される水道水が基準値を超えた。
 店舗の棚から、ミネラルウォーターが一斉に消えた。

•この事態になっても、予測を出そうともしない官庁と国の研究所、気象関係の研究者は、、、間違ったのを出すのが問題、というなら、10種類くらいだしてこのどれかが本当かも、とかいっておけば?何もないよりも、予報でも目に見える何かがあったほうが一般人は安心できると思う。

 これはすでに牧野の個人的なコメントではなくなっている。そう感じ始めている人たちは日を追って増えていた。例えば、3月23日の朝日新聞には、「科学者よ、もっと前に」と見出しされた論説が載っている。
 私もその一人であった。なぜ現役の科学技術者が口を開かないのか、純粋に不思議だった。
 ただし、牧野にしてみれば、自分の手で解析を続けていたことから、「不思議」を通り越して「怒り」に近い感情だったかもしれない。
 当事者及び現役の科学技術者が口を閉ざしている中、その代わりに、周辺の人々、サイエンスライターやコメンテーター、退職した科学技術者が、思い思いに発言を始めた。
 その中には、科学的な根拠の乏しいものも散見された。牧野は自分の信念に基づいて批判もしていく。

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著者注:
 ただし、個人的な見解にまで賛否を記述することは、本書の趣旨ではないので、個人的な自由な発言に関しては固有名詞を伏せ、出典先も明記しない。ご了承頂きたい。
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•「最悪シナリオ」はどこまで最悪か?K研究所、Iという人。

•現在どれだけの量の放射性物質がでたか見積もったことあるんだろうか?

 「科学的」という言葉には「(絶対に)正しい」という意味合いが含まれていると、一般には思われがちである。
 ところが実際には、いきなり「正しい解」が出てくることはきわめてまれである。あるモデルや理論が提唱されると、様々な反論にさらされる。そうして淘汰、洗練されていくことで、真に近い解が形成されてくる。したがって、提示された意見に反論することは、科学的には正しい姿勢である。
 同様の意味合いで、
 【間違ったのを出すのが問題、というなら、10種類くらいだしてこのどれかが本当かも、とかいっておけば?】
という牧野のコメントも、少々言い方が乱暴に聞こえるが、正論である。

【3月22日】(震災12日目)

•雨は弱いのがふったりやんだり。最悪。

 首都圏での放射線量が増加し、ようやく「雨の影響」が報道各社でも取り上げられた。
 ここにいたって、「チェルノブイリにはなりません」という報道や解説が、いかに不毛であったかを実感させられる。「チェルノブイリ」になるかならないかは、原子力関係者や原子力問題に注意を払ってきた人以外の、いわゆる一般の人たちにとって、あまり実感のない議論であると前述した。問題は「フクシマ」であり、自分自身の居住地がどうなるかである。
 「チェルノブイリ」というものを、安全基準にしか利用できなかった多くの「専門家」たちがいた。彼らは「チェルノブイリにはならないので安心を」という解説を繰り返し、社会を落ち着かせようと努力した。しかし、その目論見は失敗に終わった。
 逆に、「チェルノブイリ」というかっこうの教材(経験)を、実質的に有効利用した人たちは、どれだけいたのだろうか。それは、専門家としての資質をはかる尺度になったものと思われる。
 いち早くシミュレーション(概算)に利用したのが牧野である。牧野だけではないだろうが、私の知る限りでは、他に見当たらない。

 牧野の日誌においては、「チェルノブイリ」級であるかどうかも議論の中心になっているが、私たちにとって、より重要なのは「フクシマ」がどうなっていくかである。したがって、規模の大小以前に、「どのような現象が起きるか」を、「チェルノブイリ」を用いて考察したことこそが特筆すべきことがらである。「チェルノブイリ」は、歴史上、唯一ともいえる参考事例となっているからである。
 さらにいえば、牧野の考察は、ほぼ現象をとらえていた。そういう点からみれば、牧野は専門家に分類される立場にはなかったが、その資質は際立っていたといえる。

見積もりの再評価

•Generic procedure for Assesment and Response during Radiological Emergency(IAEA国際原子力機関)のホームページ資料)

•これは IAEA の文書。この98ページから、 mSv/h と kBq/m^2 の換算が同位体の種類毎に全部書いてある。

•131I (I-131 と書くほうがいいのかな?)は 99ページ、 1.3E-6 (mSv/h)/(kBq/m^2)

•これは 1.3E-12 (Sv/h)/(Bq/m^2)なので、1Sv = 7.7E11Bq/m^2 = 21Ci/km^2(著者注:「Ci/km^2」は「Ci/m^2」のタイプミスだと思われる)

•計算が倍しか(その精度しかない計算なので)間違ってなくて安心、というより、このとてつもない量が、、、、という、、、

 牧野の解析において、もっとも重要なものは、次の換算式であると述べてきた。

# 1シーベルト/時間=12キュリー/平方メートル

 ただし、この式は概算で求めたものであり、正確ではないことも前述した。
 この日、牧野は、IAEA国際原子力機関)の文書に正式な換算式が出ているのを見つけ、確認している。正確な数値は次の通りである。

 1.3×10^{-6}(mSv/h)/(kBq/m^2
 
 今までの書き方に直すと、以下の式になる。

 1.3×10^{-6} mSv/h = 1 kBq/m^2

 ここで、m(ミリ)とk(キロ)がそれぞれ10^{-3}と10^3であることを含めて書き直すと、

 1.3×10^{-6} ×10^{-3} Sv/h = 1×10^3 Bq/m^2

となり、整理すると、

 1 Sv/h = 7.7×10^{11} Bq/m^2

と求められる。1キュリー = 370億(3.7×10^{10})ベクレルを代入すると、牧野が使っていた形の変換式となる。

# 1シーベルト/時間=21キュリー/平方メートル

 牧野が概算で求めた値と2倍程度しか違わない。
 つまり、これまで行ってきた概算がほぼ正しいということが確認できたことになる。