第9章 理性の自粛

「自信」と「自負」

 震災10日目あたりから、色々な意見が出始めていた。それに対する牧野のコメントを並べてみたい。

【3月23日】(震災13日目)

・Y氏「放射能漏れに対する個人対策」を読む際に考慮すべき点とはを読む際に考慮すべき点とは:
 o「今、仮に大規模な放射性物質放出が持続的に起こるとしたら、それは再臨界が起こってかつ圧力容器、格納容器の健全性が損なわれている場合であろうと思います。」と3/22 になってもまだ書いていて、現実の放射性物質の放出がどれくらいであったか全く評価できていない人であること
 o「チェルノブイリとの類比で述べられている説明は危険の過大評価になっています。」と3/22 になってもまだ書いていて、現実の放射性物質の放出がどれくらいであったか全く評価できていない人であること

要するに、現実を見ることなく自分の頭の中の原発はこうだといっているように見える。

•ま、こういう人は一杯いたんだけど、今でもそういうことをいうのかなあ?

•え、TNもデマ書くんだ。
水に含まれたヨウ素131は煮沸させることで幾分取り除くことができます。

•こんなときこそ科学的判断を。そうですね。科学的判断を。

【3月24日】(震災14日目)

ヨウ素が煮沸すると蒸発する、というのが何故デマかというと、これは塩素と同じくハロゲンなので、イオンの格好になっていれば水に大量に溶けるからでございます。原発の一次冷却水とかの中では原子の数としてはずっと多いセシウム(ナトリウムと同じアルカリ金属)があるので、これとの化合物の格好で環境にでていく、というのが何度も紹介した原子力安全機構のシミュレーション結果(リンクはこのページのどっかにあったはず)

•今は海水いれてるから、食塩(塩化ナトリウム)とか他の色々なイオンが ものすごく大量にある水になってるわけで、単純にヨウ化セシウムになる、ってことはないと思いますが、単体のヨウ素に戻るということはないはず。

 元素の分類において、ヨウ素は塩素と同じ仲間に属する。塩素は単体では気体であるが、ナトリウムとの化合物である塩化ナトリウムは塩のことである。
 私たちは、料理などで、煮詰めれば煮詰めるほど、味が濃くなることを経験している。それは、沸騰すると水の方が蒸発し、溶け込んでいる塩分が濃くなるからである。塩素だけが単体となって、塩素ガスが発生することもない。
 化学を勉強した高校生でも、常識的にはヨウ素も同様だと考えるだろう。
 そこに次の情報が流れた。
【水に含まれたヨウ素131は煮沸させることで幾分取り除くことができます】
 これが真実であれば、一般的な常識とは異なるヨウ素に特有の性質であり、情報としての価値が高い。
 しかし、これが間違いであれば、常識知らずのお粗末であり、インターネット社会の脆弱性をついた「デマ」になり得る。少々罪が重い。
 幸い、発信元が直ちに事実確認をして、訂正したようである。

•TN ちゃんと実験もして修正したとのこと。大変偉い。
その結果、水道水を煮沸すればするほど水蒸気だけが飛んで、I-131が濃縮されました。もし、煮沸しようとされている方がいれば、直ちにやめるようお伝え願います。

【3月25日】(震災15日目)

福島第一原発事故、スリーマイル超えレベル6相当に(朝日新聞社ニュース)。あー、別に保安院が少しは状況を認識したわけではなくて、朝日の評価なのね。K大のI氏のコメントをとったり、まともな記事だ。

•U氏
最初のころ、テレビで「スリーマイルアイランドのようなことには絶対なりません」と太鼓判を捺していた「専門家」たちは、何を根拠にそのような断定を行っていたのか、それに興味があります。データに基づいてそう言ったつもりなら、専門家として謝罪すべきでしょう。

後からならこんなことは誰にでもいえる。

•もちろん、私は 3/12 くらいにそういってた、ということをいいたいわけです。

 公表されてくる原発事故の規模が、次第に牧野の試算に近づいてきている。その事実から、牧野のコメントには、「自信」と「自負」がみなぎってきている。

コミュニケーションの本質

【3月26日】(震災16日目)

•フランスによる福島情報(IRSN(フランス放射線防護原子力安全研究所)のホームページより)

•IRSN による3月22日迄に福島第一原子力発電所から放出された放射能の見積もり評価発表(IRSNホームページ資料より)。

チェルノブイリの 10% だって。

 さらりとした記述になっているが、この3行は重要である。フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)の報告であるが、驚くべきことに、この書類(pdfファイル)は日本語で書かれているのである。
 日本から情報発信している人の中にも、海外に向けて日本の実情を知ってもらおうと、英語で記述している人たちがいた。その姿勢は立派である。
 フランス放射線防護原子力安全研究所のホームページは、さらに進んで、自国向けのフランス語のページと、海外向けの英語のページ以外に、日本語で記述し直した報告書を並べたのである。
 その意図は、当然ながら、日本人に読んでもらいたいからに他ならない。

 本当のコミュニケーションとは何か?

 私たちは、伝えたい相手に対して、伝える努力をどれくらいしているだろうか。
 フランス放射線防護原子力安全研究所の対応は、日本政府や東京電力、報道各社と、見事なまでの対比になっている。日本の各機関は、伝えるべき人々の顔をイメージしていただろうか。
 これは、教壇に立ち、本書を執筆している自分自身にもあてはまる。肝に銘じておくべき思いでもある。

 【チェルノブイリの10%だって】というのは、日本語で書かれたフランス放射線防護原子力安全研究所の報告書「IRSN による3月22日迄に福島第一原子力発電所から放出された放射能の見積もり評価発表」の中に記載されている一文である。

想像を超えた誤報

 フランスの対応とは逆に、日本政府の混乱ぶりは一向に収束しなかった。

【3月27日】(震災17日目)

保安院溜まり水の測定結果(経済産業省の発表資料より)これにある I-134 で 2.9e9Bq/cm^3 が何かの間違いでなければ、2号機では何かありえないことが起こったことになるけど、、、
•1時間前に大量の核分裂が起こって、その生成物を見てる、とかでないと。さすがにそれはないと思いたいけど、、、
•I-134 って半減期1時間以下だし、その元になるTe-134はもっと短いので、もしも検出されたというのが本当に本当なら、再臨界が過去数時間くらいの間におきた可能性が高いと、、、

 27日の午前、原子力安全・保安院が、たまり水を測定した結果、放射性物質の一つであるヨウ素134の濃度が「通常の1000万倍」を記録したと発表した。
 このときの「通常の水」というのは、「原子炉が定常運転している際の炉内の水」を意味している。私たちが日常生活で使用する水ではない。定常的に放射性物質に汚染されている水である。その、さらに「1000万倍」という、ちょっと聞いただけでは理解できない数値が平然と発表されたのである。
 放射性物質放射能は、半減期を単位として、半分になっていく。半減期が1時間であれば、1時間後に2分の1、2時間後に4分の1と減っていき、1日後(24時間後)には、2^{24}分の1、つまり、16兆分の1にまで減少する。
 問題となっているヨウ素134の半減期は52分である。つまり、原発事故が起こったとされる3月12−16日頃に生じたものが残っている可能性は考えられない。
 可能性があるとすれば、原子炉内で、停止しているはずのウラン燃料が再び臨界状態になり(再臨界)、核分裂を起こし始めたことである。そうなれば一大事であり、事故レベルは格段に悪化する。
 ところが、核分裂の際に飛び出してくるはずの中性子の数など、周囲の状況に大きな変化はなく、不自然であった。牧野の日誌は、そのことを表すように、懐疑的である。

•でも、 2.9e9Bq/cm^3 が本当なら放射線レベルは 1000Sv/h とかいうことになって、人間が近づくなんてありえない。なので、なんかおかしいと思うんだけど、、、

 慢性的に弱いレベルで放射線を受け続けるとどうなるかは、専門家でも議論が続いており、一般にはわかりにくい。それに対して、急性放射線の人体への影響は、かなりはっきりわかっていて、4シーベルトを受けると約半分の人が死に至り(半致死量)、10シーベルトは致死量である(高田純『世界の放射線 被曝地調査』講談社ブルーバックス)。
 1000シーベルト/時間というのは、30秒ほどで10シーベルトに達するレベルである。人が近づいて計測を行える状況にはない。

 さすがに原子力安全委員会内閣府)からも異論が出て、調べなおした結果、別の物質と取り間違えていたことが判明し、半日経った18日未明に訂正された。

•I-134 はうそぴょんでした(NHKニュースより)。そらまそうだわね。そうじゃなかったらサンプルとった人は既に死んでいる。

 牧野のコメントには余裕すら感じられる。
 この文章だけをみると、あまりに淡々と理路整然に進行していったようにみえる。

 ところが、当時の原発事故を取り巻く言論は、理路整然という言葉とは全くかけ離れた状態にあった。

 まず、「通常の1000万倍」という報道がなされたとき、原発事故に注目していた人々からは、「再臨界」が懸念され、固唾をのんで見守った。当然といえば、当然である。
 問題は「通常の1000万倍」という発表が誤報だと報じられたときである。二つの怒りが噴出した。
 一つは、事故発表のあり方である。あまりにも無知すぎるとの批判である。
 もう一つは、最初の報道が正しくて、国民のパニックを抑えるために、あえて訂正したのではないかという疑念である。隠蔽体質への疑念と言い直すこともできる。幸い、この件に関しては杞憂であり、結果は、前述したとおり、単純なミスであることが確認されている。
 両者に共通していたことは、情報を発信する者への不信感であり、この発表を契機に、「本当の意味での専門家の意見を求める」苛立ちが、一層、高まっていく。

 最初に測定をした人、発表をした人、その中間にいた人たちが、誰もおかしいと思わなかったことは、一考に値する。
 すべての人が専門知識を持ち合わせていない素人であったのだろうか。それは少々考えにくい。とすれば、意識しないうちに自分自身で考えることをやめ、判断することを放棄してしまった可能性が高い。
 第1章でも述べたが、一大事に際しては、しばしば、人の判断は硬直する。

 実は、この頃の社会情勢をもう少し丁寧に記しておけば、さらに深刻な状況にあったことがわかる。
 「通常の1000万倍の濃度」という報道に対して、多くの人たちが「ふーん」という程度の感覚で受け取っていたことである。原発事故に精通していない多くの人たちにとっては、連日続いていた事故報道において、何が重要か、わからなくなっていたからである。何だかわからないような発表が続き、要領を得ない解説があふれていた。そういう印象が強い。そういう意味では、誤報のもととなった原子力安全・保安院の関係者と同様、私たちの多くも、自分で考えることを放棄していたのかもしれない。
 いずれにしても、社会全体において、「理性」が正常に機能しているようには思えない時期であった。

 2日後に、ある大学人がこの件について苦言を呈している。
 牧野のコメントは、さらに上をいっていて、痛快でさえある。

•Iさん
実際、水中線量のデータについて「1000万倍の線量」との誤報がありました。正しくは「10万倍」とありましたが、この値がおのおのどれほどのものか。ベクレル(Bq)で発表されたものをシーベルト(Sv)換算するとどの程度になるか。
ちょっと調べればいくつかの換算は可能です。それをする人としない人とで天地の差が出ます。


そですね。君はしてなかったと思うけど。

•まあ、当たり前だけど、普段の行動パターンがこういう時にもでるんだよね。東電もそうだけど。

【3月28日】(震災18日目)

放射能汚染の水拡散、格納容器で溶融燃料に接触
核燃料が一部溶融した可能性があり、設備復旧作業を妨げている。原発安全停止まで事態が長期化する様相を示し始めた。

安全停止ってなに?それ、、、みたいな。

【3月29日】(震災19日目)

•首相の原発視察「初動ミス」 野党が追及、首相は反論(朝日新聞社ニュース)
海江田万里経済産業相は「格納容器の圧力上昇は、放置すると容器が破壊される恐れがあるから、午前1時半に首相と私でベントを決め、東電に促した。ただ、電源が失われていて(ベントが)開かないということがあって、最終的には手動で開けた」と説明した。

12日午前1時とかで圧力容器の圧力下げて水いれてたら燃料棒破損はなかった可能性はある。

「混乱」と「自粛」の日々

 牧野の日誌を追っていくと、今回の大震災が原発一色に見えてくるが、実際にはそうではない。3月27日に、牧野はふと、以下のコメントを書いている。

•Jマートに梱包関係買い物にいったついでに LED 電球購入。東芝の旧モデル(消費電力 4.6W)が1480円。自宅でまだいくつかある40-60Wの白熱電球と交換すればささやかではあるが省電力に貢献できるかなと。

•売り場に電池は全くなかったけど LED 電球は普通にあった。そういうものか。

 2週間以上経っても、社会は正常化していなかった。
 実際には3月28日以降は実施されなかったが、「計画停電」は毎日発表されていた。夜の停電に備えるために、乾電池は売り切れ状態のままだった。飲料水不足も続いていた。特に、2リットルのペットボトルは、ほとんどなかった。
 さらに、ガソリン不足も長引いていた。3月27日の早朝、給油待ちの車の列の中、車内で火鉢を使って暖を取っていた男性が一酸化中毒で亡くなっているのが発見されたという痛ましい報道も流れた。

 一方で、社会は自粛の空気に包まれていた。
 被災地ではない長崎県のテーマパーク、ハウステンボスは、3月25日、震災後の圏内宿泊施設のキャンセルが1万人に達したと発表した。
 大学においても、卒業式や入学式などの中止が相次いだ。千葉大学でも両方が中止となったことはすでに述べた通りである。
 後に、ある卒業生のご両親とお会いする機会があって、卒業式の話題になった。
「本音をいえば、本当は子どもの晴れ姿を見たかった」
と言った後、
「でも、被災地のことを考えると、無理は言えませんよね…」
と付け加えた。

 なぜ「無理」なんだろうか?
 20数年間、手塩にかけたお子さんである。その晴れ姿を見ることはいけないことなのだろうか?

 被災地とはどこか?
 限定すれば、いくつかの県になるのかもしれない。ただし、今回の大震災は、日本全体が被災地という側面も持っている。
 被災地が自粛して、何か良いことがあるだろうか。
 被災地が自粛したら、それはもう、何も動かなくなってしまうのではないだろうか。

 前述した通り、私はこのとき、電気電子工学科長の任にあった。学科単位の最後の行事として、3月28日(月)に、非常勤講師を勤めて頂いた外部の先生方を招いて、懇親会を予定していた。
 責任者は学科長にあるので、幹事の教員が私のところに相談に来た。
「取りやめなら通知を出す必要があると思いますが、どうしますか?」
「私たちがやめても、世の中が変わるわけでもないので」ということで、予定通りに行うことを決めた。
 当初の出席予定が11名だったに対して、欠席は1名だけだった。欠席された方は放送局にお勤めで、災害時対応で出張に制限がかかったとのことであった。
 懇親は時間を延長し、終電間際まで続いた。酒の勢いもあってか、皆さん、饒舌に自説を展開し、大変有意義に盛会した。

理性の自粛

【3月30日】(震災20日目)

•気象学会の会長からの何か(日本気象学会のホームページより)。勝手なことはしちゃいけませんよ、とのこと。

 私が本書を書こうと強く意識したのは、おそらく、このときだったはずだ。

 リンク先の文章は、「東北地方太平洋沖地震に関して日本気象学会理事長から会員へのメッセージ」と題され、3月21日から同学会のホームページに掲載されていた。文章内の日付は3月18日で、宛先は「日本気象学会会員各位」となっていた。
 A4用紙1枚分の内容で、前半は被災者・被災地への言葉が述べられている。問題なのは後半部分である。

「一方、この地震に伴い福島第一原子力発電所の事故が発生し、放射性物質の拡散が懸念されています。大気拡散は、気象学・大気科学の1つの重要な研究課題であり、当学会にもこの課題に関する業務や研究をされている会員が多数所属されています。しかしながら、放射性物質の拡散は、防災対策と密接に関わる問題であり、適切な気象観測・予測データの使用はもとより、放射性物質特有の複雑な物理・化学過程、とりわけ拡散源の正確な情報を考慮しなければ信頼できる予測は容易ではありません。今回の未曾有の原子力災害に関しては、政府の災害対策本部の指揮・命令のもと、国を挙げてその対策に当たっているところであり、当学会の気象学・大気科学の関係者が不確実性を伴う情報を提供、あるいは不用意に一般に伝わりかねない手段で交換することは、徒に国の防災対策に関する情報等を混乱させることになりかねません。放射線の影響予測については、国の原子力防災対策の中で、文部科学省等が信頼できる予測システムを整備しており、その予測に基づいて適切な防災情報が提供されることになっています。防災対策の基本は、信頼できる単一の情報を提供し、その情報に基づいて行動することです。会員の皆様はこの点を念頭において適切に対応されるようにお願いしたいと思います。」

 この文章が悪意を持って書かれたものではないことは明らかである。また、3月18日(震災8日目)という早い段階で声明を出したことは評価されるべきだと思われる。
 ただしそれは、「理性」までもが「自粛」していた一例を明確に示していた。