「プロメテウスの罠」 − 知見と今後への期待(下)

 「残念」な点は、私自身がもっともよく知りたいと思っていることが、大震災発生から半年以上も経っているのに、明らかにできていないという現状である。具体的には、下記の3点である。
(1)当事者(政府、官僚、東電)は、どのレベルで情報の統制を行おうとしたのか。
(2)当該研究者は、なぜ、自分で判断することを止めてしまったのか。
(3)ジャーナリズムは、いつ頃から自制し始めたのか。

 東日本大震災は、日本全体が被災地となった国難である。その中にあって、おそらく皆が復興への思いを秘めていたはずである。それなのになぜ、要所要所の行動が的を射ていなかったのか。それは検証されなければならない。
 「御用学者」という言葉が氾濫しているが、当時の状況においては、専門家が目の前の人命よりも原発存続を優先したとは思えない。当時の状況を正確に判断できなかったということだと思われる。それはなぜなのか。
 また、上司の命令だということで住民軽視の行動を取ったような役人の行動が描かれる。それが本当ならば、良心よりも職務を優先したことになる。それはなぜなのか。
 国や東電が叩かれる。それは当然としても、同じ程度にジャーナリズムが情報発信できなかったことも重大な問題のように思われる。国が権力を行使する際、一般の人たちはジャーナリズムに耳を傾ける。第4の権力として権力者の行き過ぎた行使を抑止し、より公正な情報を国民に供与する責務を負っているはずだからである。それがなぜ、自制してしまったのか。

 順に、気になる点を追ってみたい。

【第3回】
「その後、ETV特集プロデューサーの増田秀樹も加わって29日まで断続的に現地調査を続けた。目的は放射能汚染地図を作り、番組にして流すことだった。4月3日の放映を目指した。
 番組放映までの歩みは平坦ではなかった。22日、局内の会議で企画そのものがボツになった」

 なぜNHKはボツにしたのか。その理由は何も書かれていない。最も「情報」が要望されていた時期であるので、ぜひ知りたいところではある。

「大森は昨年夏、『敗戦とラジオ』という番組を作っていた。その中で感じたのは大本営発表の危険性だった。戦時中、なぜ報道機関は大本営発表しかできなかったのか。
 大森は戦時中の『勝った』『勝った』という大本営発表が、今の政府の『大丈夫』『大丈夫』と重なってしようがなかった。大本営的発表があったとき、それ を疑わないと意味はない。あとで振り返っても何にもならない。たとえ厳しい放射線値が出ても、本当の数値を報じることが重要ではないか。そんな思いに突き 動かされていた」

 彼らの思いは立派である。ただし、報道機関全般は、国や東電の発表を追従する報道ばかりだったように感じられたが、どうだっただろうか。

【第6回】
「30キロ圏の外は全く安全なはずだった。そこにガスマスク防護服男が現れ、車から出ずに棒を出して測定する。異様な光景といっていい。
『どうなんだっていっても答えない。線量の数値も教えない。どうなんだっていったらたばこ吸ってんだよ。ふざけんなこのやろうって思って追及したんだよ。文部科学省の職員なのかって聞いたら違うと。なんでこんな車さ。文科省の職員じゃないのかといったら違うと』
 やがて押し問答に。
『わあわあといってるうちに、今度は下請けなんだと。下請けの下請けなんだと。上さ聞かないとだめだと』」

 この記述を読むと、ガスマスクの男は悪者に聞こえる。本当にそうだろうか?放射能についての危険性が希薄だった(または、全く知らされていなかった)だけではないだろうか。押し問答になったということは、マスクを外した可能性が高い。本当に危険ならば、そんなことはしないし、たばこを吸うほどの余裕はなかったはずだ。「下請けの下請け」という一文は、ガスマスクの男も犠牲者の一人を意味しているようで考えさせられる。

【第8回】
「『自分たちが知った情報は、たとえ住民のためになることでも職務上の秘密だ、出すなということです』」
「個人で出せば処分が待っている」

 処分とは解雇だろうか。文面からは、処分がこわくて関係者がすべて口をつぐんだように読める。果たしてそうだろうか?この非常時である。良心(あるいは自分の信念)にしたがって行動する人がいてもおかしくない。実際は、各人がどう行動すればよいのか、判断がつかなかったのではないだろうか。非常時に自分自身で正しいと思われる道を選択できる人は限られている。

【第12回】
放射性物質は同心円状には広がらず、汚染エリアは複数の突起を形成する。そのエリアをSPEEDIで予測し、迅速に住民を避難させなければならない。それが原子力防災の基本中の基本とされている」

 ここから、SPEEDIに関する記述が白熱する。
【第15回】
「対策本部の事務局は保安院が担当し、その中核はERC(緊急時対応センター)だ。そこには全く連絡がないまま、いきなり結論だけが下りてきた。官邸中枢が独自の判断で決めたのだ」
「官邸中枢が避難区域を決めてしまった以上、自分たちに役割はない。そう即断し、この段階でERCは避難区域案づくりをやめてしまう」
「同心円状に広がらないのは原子力防災の常識なのに、同心円状に避難指示が出る。そのおかしさを感じながらERCはそれを追認した。発せられた避難指示を否定する根拠がない以上、追認が妥当と考えた。
 その後、政府はこう強調した。放出された放射能量が不明だったのでSPEEDI予測はそもそも役に立たなかったのだ、と」
SPEEDIの予測図では20キロ圏をはるかに超え、北西方向に高線量地域が伸びていた」

 一連の予測図に関する記述がもっとも気になった点である。

 「理性の資質 第5章科学者の資質」の前半部分、牧野さんの3月14日の日誌から、福島第一原発のモニタリングポイント(MP)を取り上げて解説をした。そこからすでに、北西方向に高い放射線量が検出されていることが見て取れる。
 実は、牧野さんの3月14日の日誌には、もう一つ、興味深い引用があった。同じ朝日新聞の高橋真理子さんの「公開情報で放射能汚染を監視しよう」という論説である。牧野さんのコメントがあまりにも冷静に物理的な訂正を指摘していたので「理性の資質」では取り上げなかったが、今でも下記のURLで読むことができる。
http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2011031400007.html

 その論説では、表題通り、取得できる(限られた)データからでも十分に放射能汚染を監視できるという提言であり、3月14日という素早い対応は大変意義深い。
 不思議なことに、当時の専門家はそういうことを行わなかった。少なくとも公表する人はいなかった。
 さらには、そういう明快な解法が示唆されたにもかかわらず、報道機関も、そういう独自見解を示そうとはしなかった。
 それはなぜなのだろうか。

【第21回(最終回)】
「震災後、原発から逃げる人たちに大事な情報は届かなかった。政府からは『パニックを恐れた』という声も出た。国が何とかしてくれると信じた人たちにとって、その言葉はあまりにも切ない」

 「国」という単語ひとくくりで結論付けてはいけないような、もっと大きな問題のような気がした。


 少々長文になりすぎたので、一度、筆を置きたい。
 色々と書いてはきたが、もちろん、本シリーズの取材陣に他意はない。 
 上記のことがらについても、解明が進むことを期待している次第である。