原発事故を解析する
再び、牧野教授の公開用日誌に戻る。
3月14〜16日にかけて、牧野は自分の頭脳をフル回転させている。この時期において、科学的根拠を示しながら、これだけの情報を発信した科学者を、私は他に確認できていない。
ただし、ここの記述を読み取ることは、かなりの物理的な素養が必要である。補足を加えるので、余力のある人は思考のプロセスを追体験して頂きたい。
ここで大事なことは、牧野が行った計算は、基本的な物理量から出発していて、原子炉に特有な事象がないことである。つまり、物理学者、もっといえば、物理を専攻している学生であれば、やろうと思えば誰でも行えた計算である。
しかし、ここまで基本に立ち返って計算した例を、この時期、私は目にしていない。やらなかったのか、やれなかったのか。事実として、この頃にテレビ等に出演していた「専門家」たちは、自らの頭を使っていなかった。これまでの「経験」や「イメージ」で、一般社会に向けて解説していたことになる。
そういう意味で、牧野は「科学者」だった。「イメージ」で語ることなく、それを裏付ける根拠を一つ一つ算出していった。
【3月14日】(震災4日目)
•第一1号炉周辺のモニタリングデータ(東京電力のホームページ資料「福島第一原子力発電所モニタリングカーによる計測状況」)、MP2のデータが半端なく高い、、、
•モニタリングポストの位置関係はこちら(東京電力のホームページ資料「モニタリングポスト(MP)配置図」)
•双葉町役場でも同程度の高レベルだったという報告もでてて、本当?と思って東電の公式データをみたらこっちも高い、ということで、非常に危険な状態に見える。
•MP2 は午前3時前後に 700uSV/h まで上昇したあと、 400uSV/h に復帰。依然高いまま。
「MP」はモニタリングポイントの略で、放射線を測定している場所である。東京電力が示した福島第一原発におけるMPの配置(図3)では、「MP2」は北西の方向にある。原子炉からの距離は約1キロである。また、この日発表された放射線量では、確かに「MP2」が他に比べて10倍高い1時間当たり500マイクロシーベルト(0.5ミリシーベルト)付近になっていた。
図3.福島第一原発モニタリングポスト(MP)配置図(東京電力ホームページより)
日本人が自然界から1年間に受ける放射線の被曝量は約2ミリシーベルトで、そのうち食品による内部被曝が約1.4ミリシーベルト、大地や宇宙から受ける外部被曝が約0.6ミリシーベルトとなっている(高田純『世界の放射線 被曝地調査』講談社ブルーバックス)。したがって、500マイクロシーベルトは、1年間で受ける外部被曝量を1時間で受けてしまうほどの高さである。1年は365日×24時間=8,760時間なので、平常時の約1万倍の高さと言いなおすこともできる。
双葉町は、まさに「MP2」の方向、福島第一原発から見て、北西の方向に位置する。
世界の放射線被曝地調査―自ら測定した渾身のレポート (ブルーバックス)
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シーベルトとキュリー(ベクレル)の換算式を自力で算出する
•1キュリーは 3.7e10 個/秒。シーベルトは J/kg
•ここ (「Yahoo!知恵袋」より)によると131ヨウ素の場合だと約90%で『励起状態の原子核』となり、そこから364keVのγ線が放出
•1J=0.6e19 eV
牧野は、まず、単位の確認をしている。
いま計算しているものが何であるか、例えば、面積なのか、エネルギーなのか、などは、式中の単位も合わせて計算していくことで確認できる。単位系を意識することは、物理学の基本であり、素養でもある。
キュリーは放射能を表す単位である。フランスのノーベル賞科学者キュリー夫妻の功績を称えて用いられた単位で、キュリー夫妻が発見した放射性物質ラジウム1グラムが持つ放射能を1キュリー(Ci)とした。
現在ではベクレルが使われる。ウランから世界で初めて放射線を発見し、1903年にキュリー夫妻とともにノーベル賞を受賞した科学者ベクレルの名をとって新しい単位とした。ベクレルもフランス人である。
ベクレル(Bq)では、1秒間に1個の原子核が放射線を出して別の原子核に変わるときの放射能を1と定めている。
放射性物質は、放射線を出すと、別の物質に変わる。原発事故の初期段階でもっとも人体への影響が大きいとされている質量131のヨウ素131(131ヨウ素)は、放射線を出して、キセノン131に変わる。
キュリー(Ci)とベクレル(Bq)は、次の式で換算される。
1キュリー = 370億(3.7×)ベクレル
つまり、1キュリーの放射能とは、1秒間に370億個の原子核から放射線が出てくることを意味する。
牧野の記述にある「e10」は「」のことで、10の何乗かをあらわすときによく使われる記号である。
余談ではあるが、放射能の単位がどちらもフランスの科学者に由来していることは興味深い。フランスの電力供給における原子力発電の占める割合は80%を超え、世界でも群を抜いて高い。地震のない安定した地盤に支えられていることもあるが、原子力のパイオニア国であるという自負も垣間見える。
この後、桁数の大きな数が次々と出てくる。
私たちは、高校の化学でアボガドロ数(6.02×)とモルを習う。質量数12の炭素が12グラムあるとき、そこに含まれる原子の数(原子核の数でも同じ)がアボガドロ数で、これを1モルという。1モルの元素には、6.02×個の原子核が含まれている。ヨウ素131の場合でも同様に、131グラムに6.02×個の割合でヨウ素131の原子核が含まれている。6.02×は、およそ1兆()の1兆倍()という途方もなく大きな数である。
核反応を扱うと必然的に大きな数が出てくる。これがしばしば、私たちの理解を超えて、不安を増大させる。例えば、報道で「テラベクレルの放射能」といわれる。テラとは1兆を表す。1兆ベクレルの放射能とは一体どれほどのものなのか、桁数が大きくて、実感としてとらえる事が困難になる。
しかし、単位は人間が勝手に決めたものなので、慌てる必要はない。例えば、1キュリーといわれると「へー、1キュリーか」と冷静に聞いていられるが、370億ベクレルといわれると「370億!?」とビックリしがちである。実際は上述した通り、同じ状態を表わしている。
単位の確認を続けよう。
ジュール(J)とエレクトロンボルト(eV)は、ともにエネルギーを表わす単位で、換算式は次の通りである。
1ジュール = 0.6× エレクトロンボルト
したがって、記述されている364keV(キロ・エレクトロンボルト)をジュール(J)で表記すると、キロが1000()を表わしているので、以下のようになる。
(364× eV)÷(0.6×)= 6× J(ジュール)
さらに牧野は、最初の行で【シーベルトは J/kg】とあるように、シーベルト(Sv)の単位が、1キログラム(kg)あたりに受けるエネルギー量であることを確認している。
•従って、 1Ci の 131I からでるガンマ線が全部50kg の人に吸収されたすると1秒あたり 50マイクロシーベルト、1時間当り 0.16 シーベルト。
•逆にいうと、 1Sv/h になる 131I の量は 6Ci。
ここでは、整理された物理量の単位系から、1キュリーの放射能の影響を計算している。図4に模式図を示す。
図4.1キュリー分の放射性物質と人体への影響を見積もる
牧野の記述を式で書くと、以下の通りである。
(3.7×)(1キュリー分のヨウ素131は1秒あたりに370億個の原子核が放射線を出す)×(6×J)(原子核1個あたりが放出するエネルギー)÷(50)(50kgですべての放出エネルギーを吸収する)
= 44× Sv/s
(百万分の一)はマイクロ(μ)と表記される大きさで、sは秒を表わす。この式から、1秒間あたり(およそ)50マイクロシーベルトが出てくる。
さらに、1時間(h)は3600秒なので、
44××3600=0.16(Sv/h)
となる。
1÷0.16=6より、6キュリー(Ci)の放射性物質は、1時間あたり1シーベルト(1Sv/h)の放射線を出すことをここで確認している。
続いて牧野は、地面に一様に(均質に)放射性物質が降り積もった状態を想定している。
•人間の断面積が 0.5msq だとして、地面から一様にγ線がくるとすると 1Sv/h になるための 131I の量は 12Ci/msq、 1ミリシーベルトだとすると 0.012、平方キロに直すと 1.2e4 Ci/kmsq 本当に?これはガンマ線のエネルギーが全部吸収されるというので、もっとも少ない側の見積もりだけど、、、
図5に模式図を示す。
図5.地面に一様に放射性物質が降り積もっている場合の模式図:奥行きは省略した。
牧野が記述している「msq」はメートル・スクエアで、平方メートル(m)を表わしている。ここでは、50キログラムの人が地面から出てくる放射線を受ける面積を、だいたい、50センチ×1メートル(0.5m)程度の大きさとおいている。
地面に1平方メートル(1m×1m)あたり12キュリーの放射性物質がばらまかれていたとしたら、0.5平方メートル(人体)には6キュリーの放射性物質からくる線量を受けることになる。前述の通り、1シーベルト(Sv/h)である。
このことから、もっとも重要な換算式が定められる。
# 1シーベルト/時間=12キュリー/平方メートル
ここまでの計算式を理解できるかできないかは、本書を読み進める上で必須ではない。ただし、数式の苦手な読者であっても、この式だけは覚えておいて頂きたい。
この式は、観測された放射線量のデータから、原発が放出した放射性物質の量を見積もることができることを意味している。つまり、原発事故の大きさを推測することを可能にしたのである。
この式は、今後、何度も使われることになる。
実は、この換算式は正確ではない。それは、後ほど、牧野自身が正しい換算式表を見つけ出して明らかになる。
ただし、現象を追いかける上では十分な精度を持っていた。
牧野の試算を追ってみて、私は大きな驚きを持った。これまでの計算過程は、一見、難しいように見える。しかし、実際にはきわめてシンプルである。難易度でいえば、優秀な高校生でも同じ結果が導ける程度である。
私自身も含めて、多くの人たちは、原子力を前に、専門家でなければ手を出せないという先入観にとらわれた。そこで、専門家の意見をすがるように待った。その結果、待てども待てども、欲する情報が出てこなくて、フラストレーションを高めていった。
ところが、牧野のやったことは、原子力に関係する知識を特段用いることなく、物理の基本に立ち返って、概算しただけである。特別な装置を使うこともなく、紙と鉛筆だけで、1時間もあればできてしまう計算である。それだけで、事故の本質まで迫っていくことが可能になった。その洞察力は見事というほかない。
科学者が「専門バカ」といわれるようになって久しい。ものごとは日々複雑化していき、細分化された専門家でなければ、手出しできない時代になった。そういう印象を私たちは持ってしまっている。
果たしてそれは本当だろうか?
情報があふれ、社会が複雑化していく中で、「正解」は「探し出すもの」、「与えられるもの」という状況に慣れてしまっているだけなのではないだろうか。そのため、今回の原発事故に際しても、「正しい情報」を求めるだけで、自分自身の頭を使おうとはしなかった。「牧野の公開用日誌」を読み解いていくと、そのことを思い知らされる。
「誰もやらないなら、自分がやる」
「誰も教えてくれないなら、自分で考える」
「やり方を知らないなら、自分でできることをフルに活用する」
科学者とは、本来、そういう職業人ではなかっただろうか。
放射性物質の放出量を見積もる
牧野は自分で算出した換算式をフルに活用して現象を解析していく。
まずは、実際の測定値に合わせて、放射線量を1ミリシーベルトとした。ミリは1000分の1なので、キュリーの値は、
12 Ci / m ÷ 1000 =0.012 Ci / m
となる。
1平方メートル(1m×1m)あたり0.012キュリーの放射性物質が広範囲にばらまかれていた場合、例えば、1平方キロ(1km×1km)であれば、面積が1000×1000=100万()倍になるので、放射性物質の総量も100万倍になる。
0.012 Ci / m × = 12000 Ci / km
である。
ここまでの議論には、放出されたガンマ線(放射線)が、すべて人(または観測装置)に吸収されるという仮定が含まれている。実際には観測にかからない(人に吸収されない)分もあるので、最小値の見積りであると述べており、実際には、これ以上の放出があったことを示している。
【本当に?】
という驚きは、次につながる。
•ウィンズケール事故の放出量は2万Ci となっている。スリーマイルは15Ci、チェルノブイリは10億とかもっと上?
•0.5ミリシーベルト/時は 1.4e-7 Sv/s なので、 X* 2.25e-5 =1.4e-7, X= 0.006Ci/m^2
•1km^2 にすると 100万倍なので 6000キュリー/km^2
•1平方キロより広く広がっいる可能性が高いので、総量は1万キュリーのオーダーかそれより上。
•でた量が1万キュリーのオーダーだとして、これはウィンズケール事故と同程度。チェルノブイリよりは多分 4桁少ない量。スリーマイルの3桁上。
もう少し実際の観測データに合わせて0.5ミリシーベルト(500マイクロシーベルト)の放射線量にすると、1平方メートルあたり0.006キュリーの放射性物質があることになる。
その密度で1平方キロメートル(1km=1000m×1000m=100万m)にわたって降ったとすれば、放出された放射性物質は、面積をかけ算して、0.006キュリーの100万倍の6000キュリーになる。
これは前述と同じく最小値の見積もりであるので、実際には1万キュリーは超えているはずだ、ということである。
福島第一原子力発電所の敷地面積は350万平方メートル(m)である。その敷地の周辺に設置されたモニタリングポイント(MP)で0.5ミリシーベルトが実際に観測されている。そこで、例えば、かけ算する面積を敷地面積350万mでおきかえると、2万キュリーを超える試算である。
これを、過去の原発事故と比較している。世界初の原発事故となったイギリスのウィンズケール原子炉火災事故、世界初の炉心溶融事故であるアメリカのスリーマイル島原発事故、そして過去最悪の旧ソ連のチェルノブイリ原発事故である。レベル7まで区分されている国際原子力事象評価尺度(INES)において、3つの事故は、それぞれ、レベル5(事業所外へリスクを伴う事故)、レベル5(同)、レベル7(深刻な事故)となっている。
牧野の試算がはじき出した結果は、
【でた量が1万キュリーのオーダーだとして、これはウィンズケール事故と同程度。チェルノブイリよりは多分 4桁少ない量。スリーマイルの3桁上】
である。
予想通りにしても、そうでなくても、牧野は、
【本当に?】
という驚きをともなうほど、事態が深刻になっていることを、このとき、はっきりと認識したはずである。
この頃はまだ、原子力安全・保安院の公式見解は「レベル4(施設外への大きなリスクを伴わない事故)と位置付け」されたままであった。
ただし、翌15日、フランス原子力安全委員会は、福島原発事故がチェルノブイリ(レベル7)に次ぐ「レベル6(大事故)」に相当する大事故との認識を発表する。
図6.国際原子力事象評価尺度(INES)(文部科学省のホームページ資料)
概算でものごとの本質を見極める
•こういうみつもり計算をやるのが普段役に立たない天体物理学者の使命だと思う。間違っててはいけないんだけど、オーダーとして大きく間違えてなさそう。
牧野は、日本を代表する理論天文学者の一人である。
天文学、特に理論天文学は大変おおらかな学問である。科学はふつう、実験と理論で成り立っている。ところが天文学は、宇宙そのものを扱う実験ができないので、「観測」と理論で成り立っている。また、日常生活に直結していないという面もある。
そのため、2倍とか3倍の違いは、どうでもよいという側面を持っている。ただし、10倍とか100倍とかまで違ってくると、何か本質的なことがらが絡んでくる。そういう意味で、天文学の理論研究においては、桁で現象を判断することが重要になってくる。牧野の記述にある【オーダー】とは、まさにその「桁」のことである。
天文のスケールほどではなくても、おそらく科学のどの分野においても、優秀な科学者ほど、概算でものごとの本質に迫ることができる。ものごとをできる限りシンプルにして、概算してみる。その結果が自分の直感と合っていれば、本質的に間違ったことはしていないと判断し、結果が予想に反していれば、自分の概算が間違っているか、本質的な問題を含んでいると判断する。
前述した通り、牧野にはその素養が見て取れる。
誰もが立ち尽くす中、牧野の科学的行動力は、何ものにも束縛されることなく、自由に躍動を続けていく。