第4章 天災と人災

計画停電輪番停電

 3月11日(金)に地震が発生し、未曾有の津波被害に原発事故と、経験したことのない事態に日本社会の指揮系統は混乱した。その際たるものが週明けの14日(月)に生じた。
 再び、この時期の社会動向を、私自身の経験をもとに確認しておきたい。

 3月は年度末ということで、大学はもっとも忙しい時期にあたる。入学試験、合否判定、卒業判定、卒業式…、それらに加えて新年度の準備に追われる。余震の続く中、安否確認をはじめとする震災対応を進めながら、年度末の行事、業務を実行していかなくてはならない。
 私はたまたま平成22年度の電気電子工学科長の職責についていたため、当該学科の指揮系統の中心にいた。

 14日(月)は、教員のSOSメールで始まった。

(2011/03/14 6:57), wrote:
> △△です。
> 大変なことになりました。
>
> 本日ですが、千葉に向かう鉄道が止まっているため電気分野
> の△△と○○先生は終日大学に出て行ける目処が立っていま
> せん。とりあえず、自宅で様子を見ながらできる仕事をして
> いるようにします。
>
> すみませんが、よろしくお願いいたします。

(2011/03/14 7:09), wrote:
> ○○です
>
>  △△先生のメールにもありますとおり,経路上の
>  不通区間が多く,大学までたどり着くのが困難な状況です。
>  私も本日は自宅待機とさせていただきます。
>
>  なお,○○の済む浦和区上木崎は計画停電表では第2グループ
>  から第4グループいずれにもリストUPされており,いつ停電
>  するかわからない状況で,困ったものです。
>
>  ご迷惑をお掛けしますが,よろしくお願いいたします。

(2011/03/14 9:06), wrote:
>  □□です。電車が動いていないため,大学に行けません(自宅,市川市)。車
> も持っていないので。
>
>  ともかく今日はお休みします。

(2011/03/14 10:30), wrote:
> ☆☆です。
> 今日は、計画停電のため総武線各駅停車が運休とのことで、家にいます。
> このような状況だと、通常でも、2時間近くかかるので、試験当日大学に着くまで、
> 何時間かかるか分かりません。この様な状況だと試験監督は勤まらないかと
> 危惧します。
> 受験生も同じことような人もいると思いますので、試験そのものが再度
> 延期になるかもしれませんが。

 幸い、私の家は大学から5キロのところにあり、交通機関が止まっていても来ることができた。
 取り急ぎ、次のメールを配信した。

(2011/03/14 10:56), "Ito Tomoyoshi" wrote:
> 電気電子系コースの皆様
>
> 伊藤(智)です。
>
> 本日は交通機関が止まっており、大学に来られない先生から
> 連絡を受けています(現時点で4名)。
>
> 幸い、私は在学していますので、何か必要事項がありましたら、
> ご連絡下さい。

 千葉大学は第1グループに指定されていた。初日の計画停電は、早朝と夕方の2回、予定されていたが、情報が二転三転して、結局この日は実施されなかった。
 ただし、混乱は確実に拡大していった。
 この日の夕方、延期を予定していた入試の中止が決定した。余震がおさまらないこともあったが、計画停電の影響が大きかった。

被災地で始まった計画停電

 計画停電の初日に当たる14日は、以下のスケジュールで実施されることが発表されていた。

  6:20−10:00 第1グループ
  9:20−13:00 第2グループ
 12:20−16:00 第3グループ
 13:50−17:30 第4グループ
 15:20−19:00 第5グループ
 16:50−20:30 第1グループ
 18:20−22:00 第2グループ

 これに合わせて、鉄道各社は、計画停電にかかわる路線の運休や、通常の1〜2割という大幅な間引き運転を余儀なくされて、大混乱が生じることとなった。
 このことは、東京電力あるいは管轄省庁である経済産業省は予想していなかった。例えばJRは、自前の発電設備を持っているので、東京電力からの電力供給がなくても電車を動かすことができたからである。
 確かに電車を動かすことはできる状況にあった。しかし、踏切等は東京電力の電気系統のもとにあったので、それが止まってしまえば、実質上、電車の運行は不可能と判断された。
 このことは、東京電力と鉄道各社が情報を共有すれば回避できたことがらである。または、管轄省庁の経済産業省国土交通省が共同で作業すればよいだけの話でもある。縦割り行政の弊害が、最悪に近い形で露呈されていく。
 ここにさらに、厚生労働省が絡んでくる。病院や要介護者の施設、家庭の電気が止まれば、それこそ、死活問題だからである。必要な場所は停電区域から外すか、自家発電用の電源が配布されるまでは計画停電をしないように要求した。
 もっともである。私にも、週に3回の人工透析を受けながら、社会人として明るく働いている知人がいる。結果的には事なきを得たが、このときばかりは不安を隠しきれない様子だった。

 東京電力は、様々なプレッシャーの中で、ぎりぎりまで状況を見極め、判断を続けた。結局、夕方までの計画停電は見送られた。
 しかし、決定があまりにぎりぎりであったため、鉄道各社は運行本数を増やす変更ができなかった。逆に混乱を増し、運行していた路線のいくつかが、午後には全面運休した。計画停電が実施されなかったにもかかわらずである。

 この日、計画停電が実施されたのは、第5グループの一部だけだった。
 しかし、そこには耳を疑う地域が含まれていた。千葉県の旭市である。津波で12名が犠牲になった被災地である。4ヶ所あった避難所のうち、3ヶ所で、日没の17時から1時間半、電気が止まった。

「無計画」な計画停電

 大震災の直撃に国家の指揮系統が麻痺しているように見えるさなか、不思議なことに、計画停電は異常とも思える速さで実行された。震災翌日の12日(土)に可能性がアナウンスされ、翌13日(日)には輪番が決まって、週明けの14日(月)に実施されている。
 計画停電経済産業大臣の承認のもとで実施されることになっている。したがって、電力会社の独断というよりも、国策に近い。そこには、原発の不可欠性をアピールする意図があったなど、さまざまな憶測が飛び交った。本書では憶測の是非を問うつもりはない。ただ、事実として、計画停電は、あまりに唐突に、あまりに「無計画」に実施された。
 鉄道が止まる事態を把握できていなかったことは致命的であり、翌日からは鉄道周辺の地域は停電しないなどの修正が行われていった。
 ただし、停電が計画通りに実施されるか中止になるかの連絡が予定時刻の直前であることは是正されなかった。このことは、予定が立てられないという実際上のデメリットはもちろんだが、想像以上に心理的なダメージとなった。停電になるのかならないのかという中途半端な状態におかれることと、計画停電の最終時刻が夜10時(22時)という日没後の暗闇の不安がついてまわった。

 さらには、実施するしないがその場その場で決められていくシステムはグループ間で大きな格差を生じさせ、大きな不満となっていった。停電が頻発する病院に対して、道路を隔てたパチンコ店が終日営業を続けていることなどがニュースで流れた。
 グループ内においても、停電されるところとされないところがあった。千葉大学で停電中に、同じグループのはずなのに停電されていない地域が散見された。
「あそこには東電の寮があるから…」という噂がまことしやかに流れた。
 実際、駅をはさんで大学と反対側にある飲食店街は停電区域からはずされていた。ある店舗のオーナーが東京電力の上層部とつながっているからと、学生たちは口にした。

 私の身内は、東北地方の被災を思えば、少々の不公平があっても節電に努めることは当然と、意を強くしていた。ところが、(一部を除く)東京23区が計画停電から外れていて、計画停電の意図が首都圏の停電を防ぐため(首都機能を守るため)だと知ったとき、一瞬、呆然となり、次の瞬間、激怒した。
 千葉県は、岩手県宮城県福島県ほどの規模ではないけれども、その東北3県についで、茨城県とともに被害の大きかった、まぎれもない被災県である。旭市津波東京ディズニーランドのある浦安や幕張のベイタウンが液状化し、市原のコンビナートが爆発炎上している。それなのになぜ、東京のために我慢をしなければならないのか。そういう思いを持った人たちは、少なくなかったはずである。

 千葉大学は第1グループに組み入れられていた。もっとも多く停電が実施されたグループである。「グループ分けされたけれど、ほとんど実施されなかった」という声も聞かれる中、千葉大学は、公共施設でありながら、以下のように、ごく普通に計画停電された。

3月16日(水)12:20−16:00
  17日(木) 9:20−13:00、16:50−20:30
  18日(金) 6:20−10:00
  22日(火) 9:20−13:00
  24日(木)18:20−22:00

 特に、第1週の後半は毎日であり、17日(木)は2回実施された。
 このような状況の中で、「卒業式・大学院修了式」や「入学式」など、公式行事が相次いで中止された。
 学生に配布された案内には、「計画停電」の影響が明記されている。

## 3月18日配信 (学生向け一斉メール)##

平成22年度千葉大学卒業式及び
大学院修了式・学位記授与式の中止について

 3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で、3月14日から東京電力計画停電が実施されることとなったことなどに伴い、借用会場から貸出しが困難との連絡を受けたこと等から、平成22年度千葉大学卒業式(千葉ポートアリーナ)及び平成22年度千葉大学大学院修了式・学位記授与式(千葉県文化会館)を中止することといたしました。

##

「天災は忘れたころにやってくる」ということわざがある。千年に一度の大震災による高さ数十メートルにまで及んだ津波はまさにこれにあたる。「想定外」という言葉が正しいとは思えないが、原発事故も人知を超えた災害といえなくもない。
 これらに対して、「計画停電による混乱」は、どうみても「天災」ではなく「人災」である。指揮系統が機能していれば、社会的混乱はもっとずっと少なくてすんだはずである。

買い占め

 震災直後から、飲料水や食料の買い占めが始まっていたが、計画停電がそれに拍車をかけた。生産者からすれば、無計画の停電で思うように増産できず、運搬の手段を確保することが困難だった。消費者からすれば、店舗から商品が消えていく様子は、不安を大きくした。
 まず、2リットルの飲料水の棚が空になった。ついで、カップ麺などの日持ちのする食料品がなくなった。ガソリンスタンドも休止が相次ぎ、営業している数少ない店舗には長蛇の車の列ができた。それも数時間で在庫がつきて、長蛇の列を残したまま、営業終了になった。
 その状況は全国放送で繰り返し流され、我が家にも関西の友人が心配して電話をかけてきた。
「何か送るよ。なんでも言って」
 しかし、千葉市周辺では、冷静に対応すれば、暮らしに不自由することはなかった。カップ麺が手に入らなくても、逆に日持ちのしない総菜などは入手できた。
 そのことを伝えても、先方が懸命な口調で、
「遠慮しないで何でも言ってくれ!」
と言うので、
「じゃあ、乾電池を送ってくれるかな」
と頼んだ。
 計画停電が夜間まで予定されていたために、懐中電灯とそれに使われる乾電池は瞬く間に売り切れ、完全に入手できない状態になっていた。
 友人はすまなそうに言った。
「乾電池はこっちでも売り切れなんや…」
 過剰報道のためだと思われるが、買い占めは全国規模で広がっていた。

できること、できないこと

 電気系の学術団体に120年の歴史を誇る電気学会がある。毎年春に全国大会が開催されており、平成23年度は2011年3月16〜18日に予定されていた。場所は大阪である。
 私の所属している電気電子工学科にも、当然ながら多数の会員がいて、研究発表を行うために大阪に向かった。
 ところが、開催前日の午後になって、突然、中止が決定された。「被災地に配慮して」との理由からだった。
 この時期、同様の理由で、数々のイベントが中止された。
 社会全体が自粛ムードに包まれていた。

 私自身は、電気学会に参加する予定はなかったが、3月17日から2泊3日で沖縄に出張することになっていた。「LSIデザインコンテスト」という学生の大会に、研究室の学生とともに参加するためである。

 招待されていたのは学生の方で、旅費も主催者側から手当てされていた。そういう意味では、私は無理をしてまで行く必要はなかった。
 航空会社にキャンセルが可能かどうかをたずねると、災害時対応ということで、キャンセル料なしで可能であるとのことだった。
 宿泊先のホテルは、
「宿泊当日のキャンセルであっても、キャンセル料は頂きません」
と、電話口の向こうで、神妙な口調でこたえた。
 
 キャンセルできる状況にあることは確認したが、結局は予定通りに出発した。
 人にはそれぞれ役割があり、それは当然、時々刻々変化する。
 学科の混乱は、とりあえず収束した。このときの私の役割は、過度の情報に流されることなく、普段通りの行動を取ることにあるはずだと思った。

地震酔い

 3月17日、沖縄に降り立って、まず実感したのが、地面が揺れていないことである。
 それほど、今回の地震は、余震活動が活発だった。マグニチュード5以上の余震が、1週間で250回以上記録され、観測史上最多となった。1日平均30回以上である。
地震酔い」という言葉も生れた。地震が起こっていないにもかかわらず、揺れている気がするのである。大きな地震に対しては、慣れてしまい、動揺することはなくなった。その代わり、小さな揺れに対しては、身体が過敏に反応してしまう、そんな感覚だった。
地震酔い」は、意外なことではあるが、被災地以外でも生じていた。「過剰報道によって、あたかも自分自身が被災にあっているような感覚になってしまうために起こる症状で、そういう人は、テレビやインターネットをなるべく見ないようにした方が良い」という専門医師の説明が報道された。

 今回の大震災は、「情報」が人間の生命活動、社会活動に与える影響力を様々な形で示した。原発事故が象徴する情報を持つものと持たないものの格差は「情報の非対称」といわれた。瞬時に伝わる情報の速さは、被災者にとっては大きな利点になったが、計画停電が象徴するように社会的な混乱を生じさせ得る危うさも露呈した。過剰なまでの情報量は、個人レベルの「地震酔い」などのメンタルストレスや、社会現象となった「全国規模の買い占め」などを生んだ。

 沖縄でも、テレビからは被災地と同じ映像が終日流れていた。そのためか、宿泊したホテルは例年と同じであったが、被災地からの来客に対して、妙によそよそしく、過剰なまでに親切だった。
「トイレのファンの音が少し気になるのですが…」というと、ホテル側で自発的にワンランク上の部屋を用意し直してくれた。チェックアウトのときに宿泊料を確認すると、
「追加料金は頂きません」
とのことだった。

 2泊3日と短期間ではあったが、余震のない環境に身を置けただけで、心身ともにリフレッシュした。
 世間では、被災していない地域であっても「被災地に配慮して」イベントを次々に中止していた。それは、本当に「被災地に配慮」したことになったのかどうか、大変疑問に感じられた。

2,000キロ離れた風評被害

 地震から1週間経った3月18日(金)、琉球大学で「LSIデザインコンテスト」が開催された。
http://www.lsi-contest.com/
 今日、コンピュータや家電などの電子機器の中でもっとも重要な位置にあるものが内部に組み込まれているLSI(大規模集積回路)と呼ばれるチップである。その設計技術やアイデアを競う学生(大学院修士課程までの学生が対象)の大会が毎年3月に沖縄で開催されている。もともとは1998年に琉球大学内で始まったものが、2000年から全国大会になり、現在ではアジア圏も含めた国際大会に発展し、2011年は第14回大会だった。
 全国大会になった2000年以降の優勝大学を列挙すると、国内では琉球大学(2000年)、大阪大学(2001,04年)、京都大学(2002,03,07年)、千葉大学(2005,06年)、東京工業大学(2008年)であり、最近では海外勢が優勢で、2009年はバンドン工科大学(インドネシア)、2010年はUniversity of Science(ベトナム)が優勝している。
 今年の第14回大会は、国内から11チーム、海外から10チームの計21チームの応募があり、書類審査を通過した7チームが3月18日に琉球大学に招待されて、最終のプレゼンテーションで優劣を競った。結果を先にいえば、優勝はベトナムのチームで、千葉大学のチームは準優勝を獲得した。

 驚いたのは、最終選考を辞退したチームがいたことだった。それはインドネシアの大学だった。理由は原発事故の危険性を考慮しての判断とのことだった。
 大会実行委員会は、「沖縄は原発から2,000キロ離れている。インドネシアから見れば、インドに行くくらいの距離だ。全く問題はない」と説得を続けたが、翻意できなかったと大会の冒頭で語った。
 会場から苦笑が漏れた。

 ただ、それほどまでに原発事故が国際的に注目されており、恐れられているかを実感させられる逸話でもあった。