第7章 国策がエースをつぶす?
関東全体、一言4万平方キロメートル
牧野は、15日から16日にかけて、放射能汚染の関東地方へ影響を見積もっている。
文部科学省は、15日の大気中の放射線量が、栃木、群馬、埼玉、東京、千葉、神奈川、山梨、静岡の1都7県で、アメリカ、旧ソ連、中国などによる大気圏内核実験時を除き、調査開始以来の最高値を記録したことを発表した。
この日、関東地方の各都道府県が公表した放射線量データの最高値は以下の通りである。
茨城県 5.575
栃木県 1.68
群馬県 0.562
埼玉県 1.222
千葉県 0.313
東京都 0.809
神奈川県 0.258
単位は1時間あたりのマイクロシーベルトである。通常の平均値が0.05マイクロシーベルト程度であるので、10倍程度高い数値が観測されている。
【3月16日】(震災6日目)
•典型的には 0.5uSv/h とすると、控え目にみて関東全体、一言4万平方キロ(すみません、ちゃんと合計してません)で 6Ci/km^2、全体で20万キュリー程度が現時点で関東の地面にある値。これは10倍程度の誤差あり。どっち向きの誤差かは不明。
牧野は、原子炉周辺の放射性物質を概算するときに、0.5ミリシーベルト(500マイクロシーベルト)の放射線量が観測されたとすると、1平方キロメートルあたりに放出された放射性物質は6000キュリーと見積もっている(第5章)。
この日のデータから、関東地方はだいたい0.5マイクロシーベルトであると見立てている。0.5ミリシーベルトの1000分の1であるので、1平方キロメートルあたり6キュリーと見積もることができる。
これを関東地方の面積4万平方キロメートルとかけ算すると24万キュリーとなり、およそ20万キュリーの放射性物質が関東地方に舞い降りたことになる。
ちょっとしたことだが、
【関東全体、一言4万平方キロ(すみません、ちゃんと合計してません)】
という表現は興味深い。
私たちは、何かを判断するときに、できるだけ正確なデータを求めがちである。もしデータがなければ、一生懸命探すか、または判断を放棄することもある。
しかし、ものごとの本質の部分だけを判断するようなときには、だいたいの数値がわかればよく、逆に細かな数値にとらわれない方がよい場合も多い。そのことが【関東全体、一言4万平方キロ】にあらわれている。
なぜ、唐突に4万平方キロメートルという数値が出てくるのか?
例えば、高速道路の関越道を走ると、東京の練馬から群馬の前橋までが約100キロメートルである。私たちは日常の生活で、そういう経験をいろいろとしている。それらを思い起こすと、関東は、南北に100キロメートル以上、東西に100キロメートル以上の面積があるだろうとイメージされる。そういう実体験から、「一言」200キロ×200キロ=4万平方キロという概算が出てきている。それは理にかなった見積もりである。
第一線の科学者は、知識量よりも現象のとらえ方に特徴がある。知識は調べればわかるが、考え方は一朝一夕では身に付かないからである。その一端が垣間見える記述である。
ちなみに、実際に関東地方の面積を調べてみると、1都6県で3万2千平方キロメートル、山梨県を加えると3万6千平方キロメートルである。
最後に、
【これは10倍程度の誤差あり。どっち向きの誤差かは不明】
と付け加えられている。
つまり、概算の結果、関東地方に降った放射性物質の総量は1万〜100万キュリーくらいであるという主張である。
これほどの誤差では話にならないという見方もあるかもしれない。しかし、当時の状況を考えれば、十分な指標となっている。なぜなら、どこからも、こうした具体的な数値があがってきていなかったからである。
「不安」と「自信」
•しかし、今回これまでに福島原発が放出した放射性物質の量の見積もりが国からも東電からもでてこないのはどういうことなんだろう?原子力資料情報室からもでてこない。見積もってて、すさまじい数字なので出せない、ということかもしれないけど。
•というか、私のオーダー見積りは私は信じ難い。これまでに起こったイベントと原子力安全基盤機構の計算結果 (これ(「平成21年度 地震時レベル2PSAの解析(BWR)」(原子力安全基盤機構 平成22年10月報告資料:前出)の図 2.12-5) からするとありえない数字ではないんだけど、それでも信じ難い。
ここで、原発事故の程度を表わす「国際原子力事故評価尺度(INES)」を、放出される放射性物質の量から確認しておこう。レベル4以上が「事故」とされるので、4以上の基準を示す。
レベル4(所外への大きなリスクを伴わない事故):
放射性物質の少量の外部放出
レベル5(所外へのリスクを伴う事故):
放射性物質の限られた外部放出(ヨウ素131等価で数百から数千テラベクレル相当)
レベル6(大事故):
放射性物質のかなりの外部放出(ヨウ素131等価で数千から数万テラベクレル相当)
レベル7(深刻な事故):
放射性物質の重大な外部放出(ヨウ素131等価で数万テラベクレル相当以上)
1キュリー=370億ベクレルであるので、牧野が見積もった関東地方20万キュリーは7400兆ベクレルに換算される。テラは兆のことなので、約1万テラベクレルである。つまり、この数値だけでも、レベル6から7と判断される。
牧野は、自分の見積もりに自信はあったが、数値の大きさに驚いたのである。
公式な発表を探してみても、どこにもない。
これだけ重大な数値なのに?
どこからも数値が出てこないのは、自分が何か勘違いしているかもしれない。そういう思いにもとらわれる。しかし、牧野のはじき出した数値は、大筋で合っていた。
事故の対応にあたっていた人の中には、もっと具体的な数値を把握していた人がいただろう。公式発表に至るプロセスにおいて、どの段階で情報が止められたのか。いずれは明らかにされ、危機管理のあり方が問われることになるものと思われる。
•これまでの政府・東京電力の情報提供は極めて不十分であり、この判断のために必要な情報を、正確かつ迅速に提供するべきです (原子力資料情報室(CNIC)のホームページより)っていったって、でてくるわけがないんだけから、、、
【必要な情報を、正確かつ迅速に提供するべき】という意見はもっともである。
ただし、科学を職業にしている人の言葉としては物足りない。出てこなければ、こないなりに、自分で考える−それがプロフェッショナルというものであろう。牧野の反応には、そういう自負が読み取れる。それは、科学者の資質の一つの側面でもある。
これまで見てきた通り、牧野はそこまでのことを実行してきている。
•これまでの経緯を振り返ると、結局色々努力して対策をとってきたことが成果につながってはいなくて、第一1-3号機では燃料棒破損し中身の相当部分(シミュレーションで予測されていたくらい)がでた。
•4号機では使用済核燃料の発熱でプールが干上がって、燃料棒破損、水蒸気爆発か水素爆発が起こった。
•で、ウィンズケールとチェルノブイリの間(だと思いたい)の放射性物質が放出された。
•そのうち相当部分は西風にのって太平洋に運れた。 15日から16日午前中までは北東からの風にのって結構な量が関東まできた。20万Ci(プラスマイナス1桁)くらい。
冷却に向けて
原発事故の現場では、冷却に向けての準備が進められていた。陸上自衛隊のヘリコプターが上空からの放水を計画し、警視庁機動隊も高圧放水車を現場近くに配備した。
•計算上は、蒸発で冷やすためには3ヶ月後に1日100トンを、1年たっても 50 トンをいれる必要あり。蒸発させないためにはその6-7倍。今週中だと蒸発させないためには4000トン/日くらい。これを1-4号機にそれぞれ。
•これは、発熱量が1日後で 20MW、100日後で 2MW と時間の平方根で下がるというみつもりから。水の蒸発熱は 2e6J/kg。
ここでの計算を追っておこう。3ヶ月後に必要な水が1日あたり100トンであることは、次のように求められる。
基本となるのは、仕事率ワット(W)と仕事ジュール(J)の関係である。1秒あたりの仕事量がワットなので、両者の関係は次式で表わされる。
1W=1J/s
3ヶ月後(約100日後)の発熱量が2メガワット(MW)とある。メガは100万なので、200万ワットである。
ここから1日あたりの仕事量(発熱量)を求める。1日は24時間×60分×60秒で、86,400秒であるので、約10万秒と概算できる。したがって、200万ワット×10万秒で、2×ジュールとなる。
これを水の蒸発熱2×(J/kg)で割ると、必要な水の量が求まり、10万キログラムとなる。1000キログラムが1トンなので、100トンを得る。
その他の計算も同様である。
発熱量の減り方は、例えば、図8のようになっている。はじめの減り方は大きいが、徐々に小さくなっている。そこでここでは、大まかに時間の平方根で減っていくとしている。1日目を1とすると、100日後(約3ヶ月後)はルート100が10なので、10分の1、400日後(約1年後)は20分の1と概算している。
図8.崩壊熱の減り方(中部電力ホームページの資料より)
•自衛隊のヘリコプターは、 UH-60J だとすると全備重力10トンなので、水を積むのはもちろん10ではなくて、まあ3トンくらい?
•1日4000回飛ばすと蒸発しなくできる。いわゆる焼け石に水というものと計算上はでてくるんだけど、どうなのか?
•放水車はもうちょっと現実的で、例えば こんなの(大型高所放水車:モリタ社消防車のホームページより)だとすると1秒60kgなので、これを1台ずつ貼りつけて24時間動かすとなんとかなる。
•但し、これは100mまで近づかないといけないので駄目。
•なんか10km飛ばす放水ポンプとかいう話がでているが、それで数km先の20mの的にあたるのか、というのと、あたっても中に入るのか?全部とびちって外にでないのか?というとでる気がする。
•水をいれるなら長いホースを遠くから引くとかだけど、そんな気の効いた装置がある気もしない。
•放射線レベルは1週間で半分、1ヶ月たつと1桁くらい下がるかもしれない (ヨウ素131がメインの場合)ので、近づけるようになるかもしれない。
•チェルノブイリみたいにものすごい人数を動員しない限り、1ヶ月くらい有効な対策をとれない可能性が高い。
•新聞記事によるとCH47で7.5トンとのこと。3トンとは倍違うけど2000回必要。
【チェルノブイリみたいにものすごい人数を動員しない限り、1ヶ月くらい有効な対策をとれない可能性が高い】
実際には、放水は続けられ、冷却は着実に進んでいく。現場で任務に当たった人たちには、心から頭の下がる思いである。
ヘリから放水
3月17日9時48分、陸上自衛隊のヘリコプターが、7.5トンの海水をバケツでくみ上げて、使用済み燃料貯蔵プールを冷やすために、3号機の上空から水を投下した。続けて、9時52分、54分、10時00分に、海水の投下が行われた。計4回で総量30トンであった。
私は、このテレビ中継を、沖縄出張の途中、羽田空港で見ていた。
あまりにも少量で、しかも的確性も欠いていたので、とても有効な手段には思えなかった。おそらく、中継を見ていた大部分の人がそう感じただろう。
後の報道では、ヘリから散水することで、いかに日本が真剣に原発事故と向き合っているかをアメリカに示す役割を果たし、その後の協力関係を円滑にしたとも伝えられた。
【3月17日】(震災7日目)
•ヘリでの放水。焼け石に水なことは計算すればわかる、、、
•但し、放射線量のデータがでてきたのは重要。高度100m で 100mSv/h 程度らしい。そうすると、地表での 100スケールでの平均値はその数倍、 200mSv/h 以上。 4Ci/msq 以上。10万キュリーくらいが上から今見えている、ということ。
牧野の感想も、大部分の人と同じように、放水の効果を疑問視している。しかし、これまで原発事故と真剣に向き合ってきた牧野は、ほとんどの人が気に留めなかったであろう、もっと重要な点に注視していた。ヘリコプターでの放射線量である。
この文章を解説したい。
もし、地上に100ミリシーベルトを放射する物質が、同じ密度で無限にばらまかれていたとすると、次で議論する減衰を考えなければ、それがそのまま上空に100ミリシーベルトで伝わる。
ところが現実には、それほど強い放射性物質が無限に広がっているわけはなく、原子炉付近に限定されているはずである。限定されたところから同じ100ミリシーベルトを作るためには、無限に広がっている場合よりも強い放射線源になっている必要がある。高度100メートルに対して、直下の100メートル×100メートル程度の地上における放射線量の平均値は、少なくとも200ミリシーベルト以上ではあるはずである。
牧野の換算式
1シーベルト/時間=12キュリー/平方メートル
に当てはめると、200ミリシーベルトは、2.4キュリーに相当する。放射線がすべてヘリコプターに向かっているわけではないので、ここでは4キュリー以上と見積もっている。これが100メートル×100メートルにわたって広がっているとすると、4万キュリーとなる。ざっと見積もって、10万キュリーとしている。
原子力安全・保安院の解説にコメントする形で、もう少し詳しく記述している。
•保安院の人が「放射線は距離の2乗で減衰する」という寝言をいっていたので、解説:
oγ線は大気でも遮蔽されます。大体1cm^2 あたり20gのものを通るとγ 線は半分になって、大気の比重は 1.2g/l なので、 1cm^3 で 1.2mg、20g になるには 160m でよいわけです。大雑把にいって 200m で半分。
oこれに加えて、放射線が1点からでていればさらに距離の2乗で減ることになります。
oところが、今日のヘリコプターでの測定データでは、 30m で 250mSv/h、 300m で4mSv/h とのことでした。上の計算では両方の効果で 1/300 にならないといけないのですが、 1/60 にしかなっていません。
oこれは1点だとした近似が間違っているからで、もしも地面に一様に放射性物質がばらまかれているとすると、極めて大雑把にいって 100m で半分 (160mより短いのは、斜めに進んでいるものもあるからです)なので、300m では 30m の 1/6 程度になります。
o実際の強さはこのちょうど中間になっていて、これは放射線を強くだしている領域の大きさが、これも大雑把な見積もりですが、100m くらいの直径の量だ、ということ(細かい根拠は省略)です。
oつまり、建屋全体よりもうちょっと広い範囲に高濃度の物質がばらまかれている、ということ。
o量は今日の最初のほうで見積もったのと同じ。
「解説」に対して解説を加えるのは失礼かもしれないが、要点を簡単に補足したい。
放射線であるガンマ線(γ線)は、次の2つの作用で減衰する。
一つは、物質中を通過することによる減衰である。その割合が、大気中では160メートル進むごとに半分になるということを指摘している。
もう一つは、放射線が距離の2乗に比例して減衰するということである。これは、暗闇の中で豆電球をつけたときをイメージするとわかりやすい。近くでははっきり見えるが、遠くになればなるほど暗くなって、ついには見えなくなってしまう。現象はこれと同じである。
ところが、豆電球を無限とみなさせるほどの平面にびっしり敷きつめて、すべてを点灯したとする。すると、その明るさは距離と関係なく、どこに立って見ても同じになる。
牧野が【寝言】と表現したほど原子力安全・保安院の解説がいい加減だったことは、物理学を勉強した人にとってみれば明らかである。
もし、放射線物質が点とみなせるほど局在していた場合は、原子力安全・保安院の解説は半分正解である。これに大気による減衰を加えればよいことになる。
ただし、放射線物質が無限に近く広がっていた場合は、距離による減衰はなく、大気による減衰だけが残る。つまり、原子力安全・保安院の解説は不正解となる。
実際のデータは、当然ではあるが、その中間になる。
牧野はもう少し丁寧な計算を行ったようであるが、現象の本質は以上である。
この記述から、事故対応における問題点の一つが垣間見える。
この頃、原子力安全・保安院という組織が私たちにも認知されてきていた。その中で、報道等で一つの疑問が提示されていた。スポークスマンとして連日会見に追われていた西山審議官が文系出身の事務方だったことである。組織上の問題なのかもしれないが、少なくとも専門知識に精通した人が話をすべきだという疑問である。
この後も原子力安全・保安院の説明は的を射ていないことが多々あり、後述するが、3月27日には、とんでもない誤報を流すことになる。
話題がいったんはずれるが、本書にぜひ記しておきたいできごとが、この日、あった。3月18日午後1時34分、建設中の東京スカイツリーが目標の643メートルに到達したことである。日本の耐震技術をあらためて再確認した瞬間でもあった。
東京タワーの333メートルをはるかに超えて、電波塔としては世界第1位の高さとなる。開業は2012年5月22日である。
実は、3月11日の大地震によって、東京タワーは、先端部分にあるアンテナが曲がってしまった。タワーの上では、それほど激しく揺れたという。ところが、東京スカイツリーは、東京タワーの2倍の高さにもかかわらず、被害はなく、作業員全員の無事も確認されている。
想像してみるだけでも、驚異的な技術力である。さらには、余震の合間をぬって作業は続けられ、目標に到達した。
震災関連の記事で埋め尽くされていた中で、各紙の取り扱いは小さかった。しかし、大震災のさなかで達成された偉業は、きっと、後生に語り継がれるはずである。
レベル5
【3月18日】(震災8日目)
•レベル5(TBSニュース)冗談としか思えない。6と7の間くらいというのが現在の海外の機関の平均的見解であろう。というか、どう計算したって10万キュリー以下にはならないと思う、、、
10万キュリーは3700兆(テラ)ベクレルである。これは、牧野の試算の中でも十分小さい見積もりであるが、それでもレベル6の基準を超えている。
例えば、NHKは次のように報道している。
「原子力安全・保安院は、18日午後6時前からの記者会見で、福島第一原発の1号機から3号機で相次いで起きている事故について、原子炉内の核燃料の損傷が全体の3%以上と大きく、発電所の外に放射性物質が漏れていることから、32年前の1979年にアメリカで起きたスリーマイル島原発での事故と同じ『レベル5』に引き上げました。
原子力安全・保安院は、今月12日、今回の事故の評価を、12年前に、茨城県東海村で起きたJCO臨界事故と同じ『レベル4』に当たると判断していました。
『レベル5』は、これまで国内で起きた原子力事故としては最悪の評価となりました。
原子力安全・保安院は、『事態が進展しているので[引き上げる]という判断をした。評価は今後も実態に合わせて随時更新をしていく』と話しています」
後に、原子力安全・保安院は、この時点でレベル7を認識していたという報道もなされた。しかし、それが真実かどうかは疑わしい。本当にレベル5だと思い込んでいたのではないかという見方もできる。そうでなければ、住民避難が後手後手に回った説明がつかないからである。
「集団思考」
社会心理学に「集団思考」という用語がある。多くの人たちによる話し合いは、より平均的な、より健全な結論に収束していくように思われる。民主主義とは、そういうところを基盤に成り立っている。そういう思いが、一般的には、ある。
それだからこそ、大震災に直面した際に、「こういうときこそ英知を結集して」「オールジャパン体制で」対応すべきだという論調があふれかえる。
ところが社会心理学は、驚くべきことを明らかにしている。集団討議による決定は、一人で考えているときよりも、より冒険的になるか、より保守的になるかという、極端な結論に達する傾向があるということである。これを「集団極性化」という。
本来は知的で理性的な人々が、集団で討議した結果、普通では考えられないような悲惨な結果を招くような決定を行うこともある。歴史的な大惨事としては、第二次世界大戦下のナチスドイツのソ連侵攻の決定や1960年代のアメリカによるベトナム戦争の拡大政策の決定などが、例としてあげられる。このような「集団」による誤った危険な決定を導く思考過程を「集団思考」という(参考:井上隆二・山下冨美代著「図解雑学 社会心理学」ナツメ社)。
確かに、身近な会議等でも思い当たる節がある。皆さんはいかがだろうか。
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データは目の前にある。
しかし、解釈するのは人間である。
一般に、科学的な思考は客観的だと思われている。ところが現実は、データの解釈というのは、専門家でさえ、というか、ものを知っていれば知っているほど、千差万別になってくる場合が少なくない。データのどこに着目するかで、全体像が一変する。
今回の原発事故では、当初、日本において、「最悪」のレベル7の事故など起こるわけがないという先入観があったはずだ。その過小評価は「集団思考」で強化され、全員が本当にレベル5程度という認識を持った可能性は否定できない。
では、客観的に見ている側はどうだったか。
ちょうど同じ18日、国際原子力機関(IAEA)の天野事務局長が、本部のあるウィーンから成田空港に到着し、「深刻な事故だ。総理と話をしたい。国際社会の連携と情報の公開がもっと必要だ」と述べている。
「深刻な事故」という表現が、「国際原子力事故評価尺度(INES)」を意識して使われていたとすれば、「深刻な事故=レベル7」を意味する。
国策がエースをつぶす?
まえがきで、私が牧野に送ったメールを提示した。
「牧野さんの活躍の半面、震災当初から腑に落ちない点もあります。それは、巨額の研究費を費やしている地震や原子力の分野にありながら、この状況で当該分野の研究者の顔が見えてこないことです。
実は、“真のエース”というのはやっぱりいて、いまは目立たないけれど、どこかで着々と仕事を進めているような気もしています。
いつになるかわかりませんが、そう遠くないうちに、そういう人が脚光を浴びるような文章(マンガor本)を書きたいと思っています。」
ここで、牧野からの返信を示したい。
「今回、いないんじゃないかなあ、と思います。原発事故に関してはもうこれ以上悪くするのは難しいところまできてしまっていて、誰もどうにもできてないので」
「ある程度の巨大(国家)プロジェクトについては、真っ当な判断から方向転換を、というような意見は自動的に排除されるようなシステムが官僚機構にビルトインされてしまっているように思います。次世代スパコンもそんな感じだったし」
「そういうもの、と思うと(で、東電も官僚機構であると思うと)、ここまでの対応がデタラメなものであったのは基本的には理解できると思っています。そういうシステムは当事者の現実認識のズレを引き起こす(まあ、その、原発は安全であるとか NEC のベクトルスパコンは世界一であるとかそういうのですね)わけで、そのずれが事故とかの極限状況でもなかなか修正されない、で、結構面白い(というかなんというか)のは、そういう宣伝を国民とか関連分野の研究者まで結構真面目に信じていたということです」
牧野が社会心理学に精通していたわけではないことは、この返信からも読み取れる。しかし、この返信の内容は、まさに「集団思考」の核心をとらえているようで興味深い。
科学技術の進歩において、個人の資質に依存してきた部分は想像以上に大きい。自然科学の分野のおいては、それほど不思議ではない。例えば、物理学の「相対性理論」や生物学の「DNAの二重らせん構造」などの大発見が、個人や少人数のグループでなされたといっても、そういうものだろうと想像がつく。
ところが、産業レベルに達した技術においても、チーム力よりも傑出した個人の力がものをいった事例も少なくない。例えば、1950年代から70年代にかけて「スーパーコンピュータ」の黄金時代の幕開けを行った技術者であるセイモア・クレイ(米:1925−1996)は、次のような言葉を残している。
「本当に優れたコンピュータは一人で作り上げるものだ」
コンピュータという、とてつもなく大きな「製品」開発においてでさえも、集団による議論よりも個人の才覚に依存していると豪語したのである。それは、クレイ自身の技術者としてのプライドを示した言葉にすぎなかったのかもしれない。
しかし、実例はクレイにとどまらない。
1960年代以降に本格化した商用コンピュータ業界は、当初、IBMの独壇場だった。それを決定づけたのが、1964年に発表された「IBM システム360」である。この名称は、360度(=すべての方向)にある業種、つまり、どのような業種に対しても対応できるコンピュータシステムを作り上げたことを、高らかに宣言したことを意味している。この「システム360」でさえも、ジーン・アムダール(米:1922−)という一人の傑出した技術者によるところが大きいといわれている。
最近の日本科学技術政策は、重点領域を決めて、そこに集中的に予算を投入する方向に進んでいる。予算が大きければ大きいほど、関与する人数も増え、スポンサーの影響力も増してくる。それは必然の流れであり、「国際競争力」を高める上で、研究機関の側からも積極的に参画する方向にある。
ただし、チームが大きくなればなるほど、個人の自由度は減り、個々の顔が見えにくくなる。ときには、個の才覚が失われる。
そういうことを考えると、国策にある科学技術においては、当初の思考(予定)を変えることができなくなるという牧野の感覚は、確かに、それほどおかしなことではないように思われる。
国が科学に関与し始めた歴史はそれほど古くない。1823年、コンピュータの父といわれるチャールズ・バベッジ(英:1791−1871)が、コンピュータの原型ともいわれる世界初の自動計算機「階差機関」を開発するために、イギリス政府から1500ポンドの資金供与を引き出した。これが、歴史上最初の政府による研究開発助成金であったといわれている。わずかに200年足らず前のことである。
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しかし、今日の日本の科学政策は行き過ぎのような気がしている。目先の競争ばかりを追いかけているように思われる。
アインシュタインが1905年に「相対性理論」を発表したとき、スイス特許庁の職員(審査官)であったことは有名である。当時は、予算はなかったが自由があった。
巨大科学技術を否定するつもりはないが、多額の予算がついた瞬間、スポンサーの意向が無視できなくなることは容易に想像がつく。それが国策であればなおさらである。もちろん、多額の予算がなければ成り立たない研究もある。逆に、有能な研究者が予算で縛られ、自由な発想を失っていくこともあるだろう。問題は、両者のバランスである。
国策が科学界のエースをつぶしている − 教育研究の現場に身を置いている立場として、そういう感覚が、年を追うごとに増している。少数派かもしれないが、私だけではないはずだ。今回の大震災は、国策偏重の弊害を露呈させたようにも見て取れる。