(追録)隠されたSPEEDIとスルーされた研究者の提言

 牧野さんの公開日誌の11月11日は次の3行で始まっている。
・3月の文科省測定
・いや、これ見るとSPEEDI の結果を明らかに使ってるなあ、と。15日夜に浪江町津島あたりにいって測定してる。
・元記事は読んでないんだけど、伊藤君のこれみて。

 牧野さんの日誌を見て、こちらのブログに来た人は多くいると思うので、この3行に秘められた牧野さんの思いと当時の状況を「理性の資質」の追録として、補足したい。牧野さんは、当時、個人的なつてを頼りに文部科学副大臣にメールを送っている。今回、牧野さんの了解が取れたので、その内容を紹介する。
 以下では、敬称略で表記させて頂く。

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 牧野は、SPEEDIの存在が明らかにされていなかった3月19日に、鈴木寛文部科学省副大臣(当時)宛にメールを送っている。牧野と鈴木は同じ灘高校の出身(牧野が1学年上)で、「仕分け」に関連して、面識ができていた。
 牧野のメールは、科学研究者としての責務あるいは危機感が行動に結びついており、当時の状況においては、特筆すべきものがある。ご本人の了解が得られたので、ここで紹介したい。

 メールのタイトル、日時は以下の通りである。

> Subject: 福島原発からの放射性物質拡散について

 このメールで、牧野は、これまでの考察をもとに、注意を喚起している。

> このデータ、及び福島県が公表しているデータを見ると、県内で局所的に高い
> 場所が発生しているように思われます。複数ソースのデータを KEK の人がグ
> ラフ化したものが
>
> http://dl.dropbox.com/u/16653989/NuclPlants/can.gif
>

##
著者注:15日のタイプミスであることを確認している
著者注:グラフ化したご本人のページは以下にあり、当時の所属は、KEKではなく、宇宙科学研究所および SLAC である
http://d.hatena.ne.jp/oxon/20110318/1300381733
##

17時頃に福島市のデータは急激に上昇し、
> その後あまりさがっていません。また、南相馬市のデータは 3/18 の午後に一
> 度上昇して、元のレベルより若干高いところに戻っています。
>
> これらは、
>
> 1. 福島第一原発からは放射性物質が放出されつづけている
> 2. 放出されたものは風にのって運ばれる(放射性の雲となる)
> 3. 放射性雲がある時に雨になるとそこにほぼ落ちる
>
> という振る舞いをしているものと考えると理解できます。 アメダスのデータで
> は 3/17 の午後には南東からの風がふいており、17時から数時間福島市では雨
> がふっています。このために高いレベルの放射性物質が雨とともに降下したと
> 考えられます。
>
> 原発の領域から南相馬市あたりはアメダスのデータが落ちていますが、ウェザー
> ニュース社が公開している風向・風速データ(気象庁のメソスケール予報データ
> に基づくものと思います)によると 18日午後は弱い南風となっていました。雨
> ではなかったので、風向きが変化して放射性雲が移動することでレベルが下がっ
> たものと考えられます。
>
> 気象庁の予報データは 24時間後程度まではかなり信頼できるもののように思
> われるので、このようなデータを使ってある程度放射性物質の移動方向、降下
> の危険性を予測し、重点的な測定を行う、場合によっては警戒情報的なものを
> 公開する(これは慎重に行う必要があると思いますが)、といったことを考える

 また、メールせざるを得ない心境も綴られている。

> このような、気象等には素人の私が気が付くようなことは既に認識しておられ
> るかもしれませんが、この国家的危機の状況で何かできないかと思い、メイル

 そして末尾で、研究者サイドの方策を示して、メールを結んでいる。

> 実際のシミュレーションは、 JAMSTEC か東大気候システム研あたりに声をか
> ければ容易にできると思います。
>

 牧野の指摘は、的を射た内容になっている。シミュレーションを実行することについても、自分自身ではなく、的確に候補をあげている。

 ところが、というか、当然ながら、鈴木副大臣からの返信はなかった。当時の混乱した状況では、返信する余裕などなかったことは十分に推察される。
 しかし、後に状況が明らかになるにつれ、返信がなかった理由が、もう一つ、浮かび上がる。そもそも、文部科学省にとって、牧野の提言は必要なかったからである。

 SPEEDIが稼働していたことは、3月21日に明らかにされる。当時の報道によれば、国は「データが粗く、十分な予測でない」とし、「データの公表もしない」とされた。
 これに対して批判が続出し、最終的に、4月末になって全面公開される。

 全面公開されたときの牧野のコメントが5月4日のツイッターに残っている。
http://twilog.org/jun_makino/date-110504
文科省がピンポイントに浪江町津島から測定始めたのは SPEEDI の結果を知っていたから、 ということかな?予測は公開するな、というのが官邸からきてたと。

 11月11日の牧野の日誌の冒頭にある
・3月の文科省測定
という一行は、以下にリンクされている。
http://radioactivity.mext.go.jp/ja/monitoring_around_FukushimaNPP_monitoring_out_of_20km/2011/03/index.html
 この中の最初のデータである3月16日の計測図は次のようになっている。


図1.文部科学省放射線モニタリング情報」より

 見事に高放射線量の地域をとらえている。
 牧野は「文科省がピンポイントに浪江町津島から測定始めたのは SPEEDI の結果を知っていたから、ということかな?」という感想をもらしていたが、実際にそうだった。その隠されていた事実は、官邸筋にまで「直訴」した研究者にとっては、心中穏やかではないものと察せられる。

 ここで不思議に思うことは、文部科学省の対応である。SPEEDIの結果に基づいて実測を行っている。それは、あの混乱期において、非常に冷静な行動であり、称賛に値する。しかし、その結果は活かされなかった。それはなぜなのか。
 SPEEDIのシミュレーション結果が、どの段階で非公表と判断されたのかは、検証されなければならない大きな課題である。

 震災に対して真摯に対応しようとした人がいた。そういう人たちが翻弄され続けた、今回の大震災の一面を表しているエピソードの一つである。

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