原作者への道

 私が漫画原作をめざしたのは2回目の高1の春だった。

 高校入学してすぐ、肺結核が発覚して6ヶ月の入院生活を送り、最初の高1は、そのまま休学した。翌年に復学して、2度目の高1が始まった。当たり前だが、周りは全員一つ年下。私には年上としての気負いがあった。
 休学中、私は自宅でトレーニングペーパー(教育社)という独学用の教材で勉強していた。そこには「楽座」という(たぶん)読者のページのようなコーナーがあって、復学直前の昭和54年3月31日に作文を投稿した。それが掲載された。復学してすぐの国語の時間でも作文を褒められた。そして私は思った − 自分には文才がある!

 「高校生で作家になったらどんなに格好良いだろう」という白昼夢のような妄想が頭の中を駆け巡り、高揚した。
 だけど、どうしたら作家になれるのか、さっぱりわからなかった。ちょうどその頃(昭和54年5月)、集英社から「ヤングジャンプ」が創刊された。本屋で手に取ってみると、あるページで目が止まった。「青年漫画大賞 漫画部門 原作部門…入選100万円!」
 「これだ!」と私は思った。
 漫画は描けないので、注目したのは原作部門だった。募集要項をよく見ると「小説形式、シナリオ形式、どちらでも可」とあった。
 「シナリオ…?」
 私は市立図書館に足を運び、「シナリオの書き方」という本を借りた。台詞とト書きで構成されることや、セリフに勢いを出す手法、クライマックスから俯瞰する構成などが書かれていた。これが私のベースになった。
 シナリオの本もいろいろ読んだ。印象に残っているのは、黒澤明の「生きる」と倉本聰の「幻の町」という脚本集(単行本)である。「生きる」は映画史上の名作であるが、先に脚本を読んでしまったためか、映画を観たときよりも何倍も脚本の方に感動した記憶が残っている。

 「青年漫画大賞」は9月と3月に募集があった。夏休みをかけて作品を書き上げ、意気揚々と応募した。しかし落選。「文才がある」と信じていた私は「おかしいな」と思った。そして3月にも投稿し、同じく落選した。まとめると、以下の通りの結果であった。

 高1: 9月 × 3月 ×
 高2: 9月 × 3月 ×
 高3: 9月 × 3月(受験のため、応募せず)

 「高校生作家の夢」は散った。

 当たり前であった。トレーニングペーパーに掲載されたのは600字の作文で、文才がどうのこうのというレベルではなかった。青年漫画大賞は400字詰め原稿用紙50枚の作品で、しかも、応募総数は1,000を超えるほどだった。その中から受賞作は1〜2編しか選ばれない。

 受験にも失敗し、一浪の末、希望の大学に合格した。
 私の志望は科学者だったので、漫画原作に固執する必要はなかった。けれども、どういうわけか、大学に入った後も、9月と3月が近づくと、(プロでもないのに)「書かなくちゃ」という思いに駆られた。それでも、ダメなものはダメである。

 大1: 9月 × 3月 ×

 当時、私は代ゼミでアルバイトをしていた。そこには「継続は力なり」というキャッチフレーズが貼られていた。その言葉は、多くの場合、真実である(と思う)。大学2年の秋、私は「第11回 青年漫画大賞 原作部門 佳作」を受賞した。賞金15万円!応募総数1,080編のうち、受賞したのは2編。そのうちの一つだった。

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 人生が変わると思った。
 創刊から数えて11回、5年の歳月が流れていた。

 しかし、賞金の15万円が振り込まれただけで、何の変化も起こらなかった。編集部から声がかかることはなかった。調べてみると、漫画部門からは、受賞者が次々にデビューしていた。しかし、原作部門からデビューした作家は一人もいなかった。

 激しく落胆した。
 怒りも覚えた。

 それでも −
 3月の第12回に応募し、最終選考に残った。
 翌年9月の第13回ではトップの評価で準入選(賞金30万円)を受賞した。

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 ここでようやく、編集部の一人が声をかけてくれた。
 「何か20ページ程度のものを書いてみなよ」
 面白ければ、読み切りで使ってあげるよ、という感じだった。

 嬉しいという感情はなかった。
 「ふざけるなよ!」という強い気持ちがこみ上げてくるのを感じた。

 そうして書いたのが「栄光なき天才たち」である。
 天才たちの生き様に自分の思いを重ね、筆致は熱くなっていった。
 読み切りではあるが、2本書いて持っていった。連載を想定して。
 続編も用意していた。
 
 その原作も、しばらく机の上に放置されていた。しかし、このときは運も味方してくれた。
 1986年5月、月1連載が始まった。

http://www.te.chiba-u.jp/~brains/itot/work/genius/genius.htm