「名人に勝つことをめざす」ことと「実際に名人に勝つこと」の違い

 将棋は礼に始まり、礼に終わります。「いくら悔しくても、『負けました』とはっきり言えなければ強くなれない」という言葉を聞くこともあります。2013年の「第2回将棋電王戦」。そこでも、プロ棋士は将棋ソフトに接続されたロボットアームに「負けました」と頭を下げました。プロ棋士なら当然なのかもしれませんが、研究者の立場から観ると、胸が痛む光景でした。

 今日、人を対象にした研究には大きな制約が課せられています。研究機関には「生命倫理委員会」が設置されていて、「人間の尊厳及び人権の尊重」を守らなければ、人を対象にした研究を実施することはできません。そのことについては、9月3日のブログで記しました。研究者の視点からは、現在のコンピューター将棋とプロ棋士の対戦(対局)は、人工知能の研究とは離れてしまったと考えざるを得ません。
http://d.hatena.ne.jp/yayoi_2011/20160903

 「名人に勝つことをめざす」ことと「実際に名人に勝つこと」には大きな違いがあります。小さな子どもが全力で親にぶつかっていっても、まったく歯が立たなくて、「いつか倒してやる」と心に思うことはよくあります。ところが、子どもが成長して親よりも強くなったとき、実際に子どもが親を倒したりはしません。
 将棋ソフトとプロ棋士にも同様な関係があるような気がします。ですから、将棋ソフトが2013年の第2回将棋電王戦でプロ棋士に圧勝したときには、快挙ではありましたが、個人的には残念なことでもありました。そのときの思いは2013年5月1日のブログで綴りました。
http://d.hatena.ne.jp/yayoi_2011/20130501/1367421092

 人を対象にした製品は、人の能力を超えてしまうと商品価値が急速に落ちてしまうことがあります。例えば、テレビがあります。アナログ放送からデジタル放送への変換は、なかなか進みませんでした。それは、アナログテレビでも十分に満足していたからです。その後も、4Kテレビが市場に出回っていますが、ほとんど売れていません。人間にとっては、すでにオーバースペック(必要以上の性能)になっていて、必要性を感じる人が少ないためです。
 パソコンもそうですね。昔は3年も経つと使い勝手が悪くなって、新製品が欲しくなったものでした。ところが今では、5年前のパソコンでもストレスなく使えるようになっていて、買い換える必要がありません。OS(基本ソフト)のサポートが切れるために、意に反して買い換えるという状況が起きているほどです。Windows XPWindows 10などですね。
 将棋とコンピュータの関係はどうなっていくでしょうか。

 「名人に勝つことをめざす」ことと「実際に名人に勝つこと」の違いについて、もう一つ、ずっと頭の片隅に残っている記憶がありました。
 1997年、チェスの世界で、IBMのスーパーコンピュータ「ディープ・ブルー」が、史上最強の世界チャンピオン「ガルリ・カスパロフ」に勝利しました。その模様は「NHK特集」で放映されました。コンピュータがチェスで人間を超えることは人工知能研究の一つの「夢」でもあったので、若かった私は単純に興奮しました。ところが、その番組の最後で、ディープ・ブルーの開発者の一人であったC.J.タン博士が「世界チャンピオンが呆然としている様子を見て、心が痛みました」と語っているのを観て、ハッとなりました。コンピュータが人間の思考に勝つという夢の実現と実際に勝ってしまった後の困惑 − その映像は強く印象に残りました。

 ただ、私はチェスには興味がなく、そのことが私自身の研究活動に影響を与えることはありませんでした。
 同じことが身近な将棋で起こり始め、次第に「研究」と「人間の知的文化」について、考えるようになっていきました。そして迎えた2013年の歴史的な「第2回将棋電王戦」。
 
 この年、私は、1つの物語を書き始めました。