「鈴木商店」の思い出

 今夜(5月9日)、「鈴木商店」のドラマが放映されていたが、見逃してしまった。ちょっと前に何かで知ってはいたのだけれど、今日だったことを失念していた。

 私が「栄光なき天才たち」で原作を書いたのは1987年のことなので、もう25年も前のことになる。
http://brains.te.chiba-u.jp/~itot/work/genius/g3/suzuki_syoten_top.htm

 きっかけは、兄と話していたときだった。昔、潰れてしまった大会社で鈴木商店というのがあると、大学の授業だったかで聞いたことがあると言った。私の兄は経済学部の出身である。私は聞いたこともなかったが、「栄光なき天才たち」の題材探しを日常的に行っていた時期で、心に留まった。
 ちょっと調べてみると、確かに鈴木商店という存在は歴史に刻まれていて、興味深かった。さらに詳しく調べていくと、名作「鼠」(城山三郎著)にあたった。面白かった。「いける!」と思った。
 「神戸に取材に行きたい」と担当編集のMさんに打診すると、Mさんは目を輝かせた。Mさんには神戸で泊まってみたいホテルと行ってみたいお店があった。私は一人で取材に行くつもりで話をしたのだけれど、その日のうちに、漫画家の森田さんも含めて3人で新幹線に乗った。
 その日の夜に行ったお店は閑静な街並みにある小さなステーキ店だった。もちろん、Mさんがめざしていた店だった。
 私はもともと貧乏学生だったので、それまで、ステーキなどというものをまともに食べたことがなくて、味がよくわからなかった。さらに、フルコースという制度もよくわからなくて、小さなデザートがたくさん並んだお盆を持った初老のウェイターさんが「お好きなものをどうぞ」と声をかけてきたときには、「あ、もう結構です」と断ってしまった。
 今から振り返ると、世間知らずで少々ほろ苦い思い出である。
 ちなみに、どれくらい高級なステーキだったかというと、3人で7万円を超えるほどであった。 
 宿泊は神戸港が一望できるホテルで、一人一室で取ってくれた。ただ、私は高い所が苦手だったので、夜景を楽しむどころか、ろくに寝付けなかった。

 次の日、Mさんと森田さんは帰っていったが、私はもう一日調べたいと残った。Mさんからは「集英社の領収書を取ってくれれば、好きなところに泊まっていい」と言われた。結局泊まったのはカプセルホテルだった。何だか情けない話である。

 だけれども、取材の方はそれなりに進んだ。
 鈴木商店を書く上で、自然と3人が浮き出てきた。金子直吉、西川文蔵、高畑誠一である。物語は4話完結が妥当だと思った。編集担当のMさんに書き上げた原作を持って行き、4話の連載が許可された。
 1話完結で始まった「栄光なき天才たち」が短期集中連載になったのは「鈴木商店」が初めてである。このスタイルは、「日本の医学会シリーズ」「理化学研究所」「宇宙開発」へと引き継がれていく。そういう意味でも「鈴木商店」は特別な意味合いを持っている。