かつて、芹沢博文という破天荒で天才肌の棋士がいました。私が知っているのは晩年のテレビタレントというイメージのプロ棋士でした。
何かの番組で芹沢の話になりました。若い頃はめっぽう強くて、二日酔いでも将棋を指せば勝ってしまうというほどで、当然、名人になるものと本人も思っていたそうです。ところが、酒好きが過ぎて将棋がおろそかになっていったといいます。
芹沢の弟弟子に中原誠(後の永世名人)がいました。ほどなくして、将棋の成績は中原に抜かれてしまいます。そんなある日、芹沢は突然、号泣したといいます。
このエピソードは本で紹介されていて、当時は読んでいませんでしたが、先日図書館で探したらありましたので、原文をご紹介します。
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その芹沢博文が、あるとき、激しく泣いた。
芹沢が屋台のオデン屋で飲んでいて、急に涙があふれてきたというのである。
そのとき、芹沢は、突如として、
『ああ、俺は、名人になれないんだな』
という思いがこみあげてきたのだそうだ。
天才は誰かに負けたときに泣くのではなくて、自分自身の限界を自覚したときに涙をこぼすのだというイメージが強く残りました。その自覚は、真剣勝負の後とかではなく、生活の中の、ふとした瞬間に訪れるように思いました。
当人にとってはひどく残酷な瞬間ですが、そのシーンは熱く胸に迫ります。
第6話で、このエピソードを羽内将史に重ねました。
本編の原作は、次の通りです。
○(回想)田舎の公園
子どもたちが遊んでいる。
ベンチに座って、その様子をぼんやり見ている羽内。
ボロボロの身なり。
羽内「あのロボットもあの子どもくらいだったかな…小さかったな…」
『詰め觔君』のかわいいイメージ。
羽内の目から、突然、涙があふれてくる。
羽内「オレは、負けたんだな…」
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この場面については「すけべえあき」さんが絶賛してくれました。ありがとうございます。
https://twitter.com/sukebeaki/status/819764829577617408
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羽内は、この十年後に鮮やかに復活します。その十年間は、本編では描きませんでした。
かつては、増山一郎が羽内将史を一般席から見上げていました。この十年は逆の構図ですね。羽内が一郎を一般席から見つめることになったと思います。自戒や後悔、将棋への熱い思いを胸にたぎらせながら…。
松島先生の描く羽内将史は大変人気が高いので、「永遠の一手」が大ヒットでもしたら、「羽内将史の空白の十年」をスピンオフ物語として描くのもよいのかもしれませんが、それはちょっと難しそうですね。