目を持ったコンピュータ − AIの本質

「永遠の一手」の第1話に出てくる将棋ロボット『詰め郎君』には「目」があります。盤面だけでなく、追い詰められていく羽内名人を冷徹に観察していきます。それには理由があります。

 人工知能AIと聞くと、どんなイメージを抱くでしょうか?人間に取って代わる知性でしょうか?
 それはちょっと報道が行きすぎているように思います。少なくとも、コンピュータが意思を持ったわけではありません。

 では、どう考えればよいでしょうか。
 現在のAIについては、「コンピュータが目を持った」という捉え方があります。
 これがもっともわかりやすい表現のように思います。

 人工知能の歴史は70年近くあり、現在のブームは3回目です。第1回目が人間の知能と同じものを人工的に創り上げようとする本来の意味での人工知能ブームです。コンピュータが商用化し始めた1950〜60年代のことです。それはほどなくして挫折しました。
 1980年代に第2回目のブームが起こり、現在の機械学習(さらには深層学習:ディープラーニング)のもととなる人間の脳を模倣したニューラルネットワークというアルゴリズムが登場しました。このブームもほどなくして終焉します。
 第3回(現在)のブームは第2回のブームの延長上にあるともいえます。大きく違うのは、コンピュータの性能が格段に向上したことと、ネットワークの発展によってビッグデータを扱えるようになったことです。

 2012年、グーグルは1000万枚の猫の写真をコンピュータに読み込ませ、猫を認識するAIを作り上げました。「グーグルの猫」として社会に大きなインパクトを与えました。

 どうしてでしょうか?

 それは、人間が教えなくても、コンピュータが勝手に学習して得た能力だからです。
 同じ頃に、IBMの次世代コンピュータ「ワトソン」が登場し、現在では医師が見落とした難病の症例を見つけるなどの活躍を見せています。

 コンピュータは機械学習によって「画像」を評価できるようになりました。人間の「目」では探知できないものまで認識できるようになりました。
「画像」を「盤面」に置き換えれば、将棋や囲碁になります。
 このような分野では、コンピュータは機械学習によって、どんどん性能が向上する(将棋や囲碁でいえば、強くなっていく)可能性があります。

 将棋や囲碁は、さらに有利な状況にあります。
 機械学習でもっとも大変なのは、学習のために与える教師データの用意です。グーグルは猫を識別させるために1000万枚の画像を用いました。これは大変な作業です。
 ところが、囲碁や将棋では、ソフトが十分に強くなりましたので、コンピュータ同士で対局を続けることで、良質な学習データ(棋譜)を無尽蔵に生み出すことが可能になったからです。

『詰め郎君』に目があるのは、現在のAIの象徴でもあります。

https://twitter.com/shinzan_shinzan/status/773875199372431362