永遠の一手特別編

 永遠の一手・特別編が終わりました。私自身は、現在思っていることを形に残せて、本当に嬉しく思っています。読者の皆様、作画の松島さん、担当の沢編集長に深く感謝申し上げます。

 特別編が将棋の話と関係なくて、将棋を期待されていた方々にはすみません。「永遠の一手」の本編のネームができてページ数が固まってきたとき、沢さんが「1巻でまとめるにはちょっとボリュームがありすぎて、2巻にするとちょっと薄くなってしまうんだよなあ」と思案顔で切り出しました。「じゃあ、ちょっと何か書いてみるので、面白ければ使って下さい」ということになりました。

 本編の原作を書くときに沢さんから受けた注文は「1話に1つは山場を入れて下さい」ということでした。ページ数を合わせるような指示はありませんでした。沢さんの中では、当初は単行本1冊でまとまる程度を想定していたかもしれません。連載に合わせて原作を加筆修正していくうちに、全12話になりました。私自身の中では、コンピューター将棋については書き切りましたので、完成したものに何かを加えることは考えていませんでした。沢さんからも特別な注文はありませんでした。
 そこで、何かをという話になりました。

 原作についての考え方は、別の機会にお話ししたいと思います。ここでは大学教員がマンガに携わる意味(意義)について、考えていることをお話しします。
 
 私は自分のホームページに20年以上前から「漫画は視覚情報を織り込める非常に優れたメディアであると思う。」という一文を載せています。活字よりも画の方が情報量が多い上に、テレビや映画などと違って、本という形で気軽に手に取ることができ、自分のペースで読み進められるという利点を持っています。大学の教員は、専門知識を一般の方々に還元する義務を負っています。私は幸運にもマンガ原作にコネクションを持っています。マンガを通して、専門知識を伝えられたらという希望は常に持っています。

 現在の私の本職は、教育であり、研究です。専門分野(の一つ)は計算機科学です。計算機科学の分野では、最近、AIとIoTが大流行しています。国からも多額の予算が投じられています。自動走行車の開発は進み、2020年の実用化をめざして、激しい競争が展開されています。ただし、報道では凄さばかりが強調されていて、少し心配な気がしています。科学技術には良い面もあれば弊害もあります。

 特別編では、情報科学が頂点に達した後の時代設定になっています。少しネガティブな社会です。本当にそうなっていくかどうかは、(誰にも)わかりません。だけれども、ポジティブな面だけでなく、ネガティブな側面を提示することも大切だと思っています。皆さんには、両方を知った上で未来(将来)を創造していってもらえればと思います。

 特別編も沢さんからOKが出て、日の目を見ることができました。物語の中で出てくる技術には、それぞれ、それなりの裏付けはあります。翔子と康晴がネット上で感じる違和感についても、「こじつけ」は持っています。でも、それを作者が語るのは格好悪い(恥ずかしい)ですね。

 1月に単行本を手にして頂ければ幸いです。カバーの制作も順調に進んでいるようです。
 また、お目にかかれる日を楽しみにしています。

 ありがとうございました!