「「人工知能」研究の創始者ジョン・マッカーシーを追悼する 2011年11月01日」の初稿

人工知能の創世記を築いたジョン・マッカーシーを追悼する (2011年10月8日脱稿)

 機械は知能を持てるだろうか?専門家でなくても興味をひかれる話題である。
 人工知能(AI: Artificial Inetligence)という言葉を最初に提唱し、AI研究を先導して、1971年にコンピュータ科学最高の栄誉であるチューリング賞を受賞したジョン・マッカーシーが10月24日、他界した。84歳だった。

 機械が知能を持てるかどうかは、昔から議論されていて、今なお結論の出ていない、人類にとって、大きなテーマの一つである。議論がSFから離れて学術的な研究へと進展したのは、コンピューターが誕生してからである。コンピューターが誕生するための重要な理論は1930年代に提示された。
 第一のものは、「チューリング賞」にその名を残しているアラン・チューリング(1912−1954)が1936年に発表した「チューリング・マシン」である。チューリング・マシンは無限に長いテープ(記憶装置)と一つのヘッド(記号処理を行う装置)で構成される単純なモデルであったが、このシステムで、ありとあらゆる記号操舵が可能であることを示した。それは思考のモデル化であり、衝撃を与えた。神秘の領域であった思考が初めて科学の言葉で語られたのである。チューリング・マシンはコンピューターの理論そのものであり、日常使われている今日のコンピューターは、すべてチューリング・マシンということもできる。
 翌1937年には、クロード・シャノン(1916−2001)が、電気回路でブール代数(2進数のみで記述された数学)が構築できることを示した。それは、デジタル計算機に理論的な根拠を与えるものであった。チューリングは、チューリング・マシンを用いれば人間の思考を代替できることを示していたが、どうやればチューリング・マシンを実現できるのかまでは言及していなかった。シャノンは電気回路でチューリング・マシン、つまりは現代のコンピュータを構成できることを示した。

 第二次世界大戦を挟んで、1950年代にコンピューターは商用化される。それにともなって人工知能の研究も隆盛する。その中心となったのがマッカーシーである。1年間、シャノンのもとで研究を行った後、1956年にダートマス会議を開催して、人工知能研究の出発点を作った。
 このときの構想からLISP言語が生まれ、1958年にコンピューターに実装された。科学計算用のFORTRANの次に開発された2番目に古い高級言語であるLISPは、人工知能の研究ではもっともよく使われているもので、マッカーシーの大きな業績になっている。
 日本の研究者との交流も多くあったそうで、1988年には京都賞(第4回)も受賞している。

 2011年10月は、スティーブ・ジョブズ(5日)、デニス・リッチー(12日)に続く、コンピューター史に残る巨人の逝去であり、特別な月となった。 
 私自身としては、コンピューター史を三度振り返ることとなった。そこで強く感じるのは、大きな業績の多くが、いかに若者の柔軟な思考によって生み出されてきたかである。
 例えば、上述したものを列挙すれば、「チューリング・マシン」(チューリング24歳)、「電気回路でチューリング・マシンを構成できること」(シャノン21歳)、「ダートマス会議」(マッカーシー29歳)であり、「パソコンの開発」(ジョブズ20歳)、「UNIXの開発」(リッチー30歳)である。
 このような傾向は、おそらく、今日でも変わっていないはずである。教育や科学技術政策を考える上で、忘れてはいけない視点であろう。