スティーブ・ジョブズとデニス・リッチー、そしてジョン・マッカーシー

 機械は知能を持てるだろうか?
 専門家でなくても興味をひかれる話題である。
 人工知能(AI= Artificial Intelligence)という言葉を最初に提唱し、LISP言語を開発してAI研究を先導したジョン・マッカーシーが10月24日、他界した。スティーブ・ジョブズ(5日)、デニス・リッチー(12日)に続く、コンピュータ史に残る巨人の逝去であり、2011年10月は情報技術史において特別な月となった。
 朝日新聞WEBRONZAで追悼記事を書いた。
 http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2011103100015.html?iref=webronza

 デニス・リッチーの訃報に際して、スティーブ・ジョブズとの扱いの違いに驚いたと書いた。ジョン・マッカーシーの訃報は新聞(朝日)にも載らなかった。スティーブ・ジョブズが死してなおアップルに貢献している事実はドラマティックである。それを否定するつもりは毛頭ない。ただし、ジョン・マッカーシーの業績も、現代社会にとって、無視できるものではないことも事実である。
 1936年、チューリングが「チューリング・マシン」を発表し、翌1937年にシャノンが電気回路でブール代数(2進数のみで記述された数学)が構築できることを示して、現代コンピュータの理論が確立した。第二次世界大戦をはさんで、1950年代にコンピュータは商用化され、それにともなって人工知能の研究も盛んになった。その中心となったのがマッカーシーである。1年間、シャノンのもとで研究を行った後、1956年に人工知能研究の出発点となった「ダートマス会議」を開催した。
 このときの構想から、人工知能用言語としてLISPの開発が始まり、1958年にはコンピュータに実装された。この功績により、1971年にチューリング賞を受賞している。
 マッカーシーが発起人となったダートマス会議(実際は1ヶ月にわたって行われた研究交流会)からは、さらに3名のチューリング賞受賞者が出ている。「人工知能の父」と称されるマッカーシーに対して「人工知能のカリスマ」と呼ばれたマービン・ミンスキー、そしてアレン・ニューウェルとハーバート・サイモンのコンビである。サイモンはノーベル賞(経済学賞)も受賞している。人工知能の研究がもっとも熱かった時代である。

 この一ヶ月でコンピュータ史を三度振り返ることとなったが、そこで強く感じたのは、大きな業績の多くが、いかに若者の柔軟な思考によって生み出されてきたかである。例えば、「チューリング・マシン」(チューリング24歳)、「電気回路でチューリング・マシンを構成できること」(シャノン21歳)、「ダートマス会議」(マッカーシー29歳)であり、「パソコンの開発」(ジョブズ20歳)、「UNIXの開発」(リッチー30歳)である。
 いつの間にか私も歳を取ってしまったが、研究者のはしくれとして触発されるものがある。「人生は短い」by「宇宙兄弟」(講談社)。今の私にできることは何だろうか。