スティーブ・ジョブズとデニス・リッチー

 2011年10月、コンピュータ史に名を残す人物が相次いで、この世を去った。スティーブ・ジョブズデニス・リッチー
 朝日新聞WEBRONZAで、二人の追悼記事を、コンピュータ史の中における足跡を記す形で書いた。有料ページなので、毎回恐縮であるが、リンクを貼らせて頂く。

スティーブ・ジョブズ
http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2011101100006.html

デニス・リッチー
http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2011101700018.html

 私はかつて「BRAINS」という作品を連載したことがある。マンガでコンピュータの通史を描くという壮大なスケールの物語になるはずだったが、当時の編集長の「一般受けしない」という鶴の一声で休載になってしまった心残りの企画である。「BRAINS」については、あらためて記したい。
 そういう経緯で、その時点でスティーブ・ジョブズデニス・リッチーも、ある程度調べていた。コンピュータ史を代表する人物を列挙した「コンピュータの英雄たち」(ロバート・スレイター著 馬上康成・木元俊宏訳 朝日新聞社)という本があり、二人の名もすでにそこに記されていた。

コンピュータの英雄たち

コンピュータの英雄たち

 スティーブ・ジョブズは20歳のとき、スティーブ・ウォズニアックと世界で初めてのパソコンを創り、アップル社を設立した。1977年のことである。AppleIIを売りまくり、ジョブズは20代にしてフォーチュン誌の資産家ランキングに名を連ねた。当時、パソコン(AppleII)の登場は「コンピュータ革命」と同じ意味で使われたといわれる。
 ところが1982年にIBMがパソコン市場に参入すると、状況が一変した。アップルはシェアを落とし、ジョブズは30歳を前に、自分が興したアップル社から追い出されてしまう。
 その後の復活劇は色々なところで記述されている通りで、特に、無敵に思われていたマイクロソフト社を、昨年、時価総額で追い抜き、今年の8月にはアップル社を米国一の企業にまで引き上げたことは、コンピューター史において、特筆すべきドラマとして語り継がれていくはずである。

 一方、デニス・リッチーUNIXの開発に携わり、C言語を開発して、コンピュータ史に偉大な足跡を残した。特筆すべきは、C言語UNIXを記述することに成功したことである。OSを高級言語で書けるようになり、コンピュータシステムは大きく飛躍した。
 科学技術の最高の栄誉に1901年に始まった「ノーベル賞」がある。科学の分野は「物理学賞」「化学賞」「生理学・医学賞」で、そこに数学がないことから1936年に「フィールズ賞」が創設された。そして、1966年、計算機科学の最高の栄誉として「チューリング賞」が制定された。チューリング賞は、これまで、57人に贈られているが、デニス・リッチーは、その限られた受賞者のうちの一人である(1983年受賞)。
 ちなみに、ノーベル賞フィールズ賞には日本の受賞者がいるが、残念ながら、チューリング賞では、いまだに日本人受賞者は出ていない。

 それにしては…というのが、デニス・リッチーの訃報(10月12日)に接したときの正直な感想である。スティーブ・ジョブズの訃報(10月5日)が全世界を駆けめぐったのとは、あまりにも対照的に、静かな扱いだ。世間というものがそういうものなのか、マスコミの誘導か、または産業界の影響なのか…。
 WEBRONZAにおいても、スティーブ・ジョブズはすぐに特集が組まれ、デニス・リッチーについては、今のところ、寄稿しているのは私一人である。

 今夜は、久しぶりに、ブライアン・カーニハンと書いたC言語の古典「プログラミング言語C」(二人の頭文字をとって、通称『K&R』と呼ばれる)を開いてみようかと思う。持っている人はたくさんいるが、読み切った人は少ないといわれる名著である。恥ずかしながら、私もそのうちの一人である。