双日と「栄光なき天才たち」

栄光なき天才たち」が連載されていた頃の若者たち(つまり、私たちの世代)が、今はそれなりに決定権を持つ立場になったためだろうか、最近、「栄光なき天才たち」にオファーが舞い込んできている。大変ありがたいことである。
 NHKの話と同時に、2つの話が届いた。その一つが双日である。双日の源流に「鈴木商店」があり、神戸開港150年、鈴木商店が総合商社日本一になって100年が経つのを記念して、「栄光なき天才たち」での話をWebページに掲載したいということであった。嬉しい話である。

http://sp.sojitz.com/kobe150/

鈴木商店」は、初めての連作であり、短期集中として4週にわたって掲載された。神戸にも取材に行った。余談ではあるが、神戸で、生まれて初めてステーキのフルコースをごちそうになった。生まれて初めてなので、味は覚えていない。しかも、当時の私はフルコースという概念も持ち合わせていなくて、最後のデザートは遠慮してしまった。そういう気恥ずかしい思い出も残っている。

 作品作りで重要だったのは、城山三郎著「鼠」である。「鈴木商店」については、兄が何気なく話していたことがきっかけだった。どこで聞いてきたのか「何とか商店という面白い会社があるようだぞ」という感じだった。調べていくうちに「鼠」にたどり着いた。間違いなく名著である。「鈴木商店」が4話連続の大作になる自信になった。
 当時の私は学生でしかなかったが、理系を自認しており、当時の漫画にはなかった「参考文献」という概念を持ち込んだ。もちろん、「鼠」も筆頭にあげている。そこに書かれていることが事実であるかどうか、さらには補足資料などを、昔の報道(新聞)等で裏付けていく形で構想を固めていった。

http://www.te.chiba-u.jp/~brains/itot/work/genius/g3/suzuki_syoten_btm.htm

 当時、私は東大の学生だった。東大には新聞研究所というものがあり、膨大な新聞資料が収集されていた。古いものはマイクロフィルム化されていた。学生でも、そこを自由に使うことができた。それは、「鈴木商店」だけでなく、「栄光なき天才たち」全般において強力な後ろ盾となっていた。
 新聞研究所は、今では社会情報研究資料センターと名称を変えているらしい。もっともな変更である。ただ、個人的には「新聞研究所」というストレートで昭和の匂いのする名称が忘れられない。

 総合商社は日本で生まれた世界に類例のない貿易商社であり、貿易立国を支えた。なかでも「鈴木商店」はひときわダイナミックであった。最後に、解説ページの一文を紹介したい。

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 その中でかつて、三菱、住友などの大財閥をむこうに回し、一気に三井までも凌駕した個人商店があった。それが鈴木商店である。三井物産三菱商事の時代を迎える前に、物産−鈴木の時代があったのである。その強力な企業活力、グローバルに展開した経営戦略、多面的工業基盤の育成に注いだ情熱は、日本経営史上、最も迫力のある一ページを形作ったといわれる。
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