My Favorite Songs

 スペクトラムを調べていて、メンバーがキャンディーズのバックバンドをしていたこともわかって驚いた。キャンディーズが解散したのは私が中学生の頃である。同級生の中では、ファイナルコンサートに行く行かないで、ずい分盛り上がっていた。私はファンでもなかったので、特に関心はなかった。
 中学生の頃というのは、突然、大人びた行動を取るようで、洋楽を聴くようになっていた。よく聴いていたのはビートルズだった。当時は「ビートルズ来日15周年」という、冷静に考えればビートルズにとっては特別な年でもなかったはずだが、そういうフレーズで盛り上がっていた。ラジオでは「電リク」という電話のリクエストでその日の人気順位を決めるビートルズの曲集が流れていた。そして決まって、順位は
1位 イエスタデイ
2位 レットイットビー
3位 ヘイジュード
4位 ヘルプ

となっていた。今思うと、この順位も納得いかないものがある。
 初めて自分の意思で買ったレコードはビートルズの赤盤と青盤である。他には、シングルでプロコルハルムの「青い影」とバリーマニロウの「歌の贈り物」を買ったりした。

 高校になると、洋楽邦楽を問わずに聴いた。レコードを買うことはなくなり、夕方に放送されていたNHK-FMの「夕べの広場」でエアチェックをして、気に入った曲を残して聴いていた。この番組の特徴は、エアチェックのために曲が流れている間は一切コメントを入れず、しかも、曲は「それではどうぞ」と言った後に、ちょっと間をおいてから流れるようになっていた。とても良心的な番組だった。高一の半年は入院生活をしていたので、大きな楽しみだった。
 ある日、一つの曲に耳を奪われた。曲の最後に男声コーラスが入り、ドラマチックな曲だった。ただし、残念ながら、このときはエアチェックをしていなかった。そこで、ラジオの曲紹介だけは聞き逃さないように集中した。「中島みゆきの手錠」。
 しかし、退院後、中島みゆきの曲をいくら調べても、「手錠」という曲は見つけられなかった。当時は今のように手軽に検索できる時代ではなかった。「おかしいな」と思いながらも、月日は流れた。
 その曲が突然、テレビから流れてきた。「金八先生」第二シリーズの終盤、学校に警察が入ってくるシーンに使われたのである。「これは…」エンドロールを確認すると「中島みゆき『世情』」とあった。そう、「せじょう」を「てじょう」と聞き間違えていたのだ。
 弁解するわけではないけれど、「せじょう」と聞いて「世情」と頭に浮かぶほどの語彙力を持った高校生がどれだけいるだろうか、という問題でもある。

 私は、世間で流れているヒット曲よりもB面やシングルカットされていない曲を好んでエアチェックした。例えば、ユニコーンのファンではなかったので、ほとんど曲を知らないけれど、「家」という曲だけは繰り返し聴いた(有名な曲だったら、すみません)。途中に1か所だけ、熱いサウンドが流れて、プログレみたいで格好良かった。アイドルに熱をあげることはなかったけれど、南野陽子の「思いのままに」は良い曲だと思った(こちらも、有名だったら、すみません)。落ち込んだ時に、口ずさんだりした。
 中島みゆきの「世情」は、存在が確認できて良かったのだけれど、当時の私の心境としては、自分自信のお気に入りから、「金八」史上最高の名シーンとともに全国区になってしまって、残念な気持ちになったりもしていた。