理学と工学

朝日新聞のWEBRONZAに「光速を超えたニュートリノ、決着をつけるのは誰か?」という論説を書き、本日アップされました。有料で恐縮ですが、リンクします。
http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2011093000002.html?iref=webronza

 その中で、時計職人ジョン・ハリソンの話を紹介した。もとになっているのは「経度への挑戦」という本である。私はその書評を、依頼を受けて、文春1997.9.18号に書いている。以下に再掲したい。著作権は私にあるので、ここで再掲しても大丈夫なはず(だと思う)。

 南北と東西。似ているようで、そこには大きな違いがある。南北を示す緯度は太陽高度を計ればわかる。高ければ赤道に近く、低ければ極に近い。では東西は?
 この作品は、東西を示す経度を測定するために生涯を賭けた男の物語である。海外貿易が巨万の富を生み出していた18世紀。航海を成功させる鍵は経度の正確な測定法にあり、大英帝国は現在の貨幣価値で数億円に相当する賞金を設定する。天文学者がこぞって天体の運行に答えを求める中、無名の時計職人が名乗りを上げた。ジョン・ハリソン。彼は驚くべき技術力で主役の座に躍り出ていく。しかしそれは同時に、苦闘の始まりでもあった。
 なぜ時計職人がといえば、正確な時刻を知れば経度がわかるからである。ただし、二つの地点での正確な時刻を知る必要がある。船上での時刻と、基準となるグリニッジの標準時刻。例えば、船上で太陽が南中した時(つまり正午)、標準時を示す時計が午前11時をさしていたとすると、その船は東経15度に位置していることになる。地球は24時間で1周(360度)するので、1時間の時差が15度に相当するためである。したがって『船上で正確な時を刻む時計』を開発すれば、問題は解決する。しかし振り子やぜんまい式しかなかった当時、過酷な条件の船上で要求を満たす時計を作ることは不可能だと思われていた。
 しかしハリソンはやった。無名の時計職人は1730年、誤差が1日数秒という驚異的な精度の時計H-1を持って彗星のごとく登場したのである。経度評議委員会は誰しもこの待ち望んでいた偉業に賞金を与えたくてうずうずしていたという。
 しかしその時、H-1の欠点を指摘できる者が一人だけいた。製作者のハリソン自身である。ハリソンは、なんとその栄光を自ら辞退する。まだ完璧ではないからと。傲慢ともいえるほどの自尊心−そこには超一流の職人魂があった。
 第2作H-2の開発に10年、第3作H-3に19年の歳月をかけ、ついに1759年、究極の時計H-4は完成する。ハリソンすでに66歳。人生を賭けた一作であった。自信満々で再び経度評議委員会にのぞむハリソン。しかし、状況は大きく変化していた。天体観測に基礎を置く『月距法』の台頭である。
 正確な時計さえあれば天体観測など必要ない。しかし、自然の摂理に勝る時計など人間に作れるわけがないとする学者たちは、H-4を認めたがらない。そこには、理学は工学よりも高尚であるという偏見があった。より産業(金儲け)に近い工学という分野は、アカデミズムの中でもしばしば下に置かれる。欧米の大学にはもともと工学部は存在しない。そのため工学は工科大学としての独立を余儀なくされ、逆に独自の発展を遂げることになる。余談ではあるが、日本の大学がその設立当初から工学部を総合大学の中に取り込んでいたのは特殊な例である。それは、明治以降の日本の驚異的な発展の一因ともなっている。
 理学は自然という最大の謎解きを行う学問である。そこに要求されるのは論理的思考である。一方、工学にはそんな束縛はない。そこに求められるのは自由な創造力である。
 私たちの身の周りに存在する様々なもの。それを作り上げたのは人間の創造力である。それはある時突然与えられたのではなく、誰かがどうにかして作り上げたものである。その一つ一つに熱い人間ドラマが秘められている。そのことをこの本は教えてくれる。
 ハリソンは最後に賞金を手にする。しかし、ハリソンの作った4つの時計はなかば強制的に経度評議委員会に徴収され、歴史の闇に埋もれてしまう。再びその時計が時を刻み始めるのは20世紀に入ってからである。
 現在その4つの時計は、人類の宝として、グリニッジ天文台に展示されているという。イギリスに旅行される折りには、本書を片手に訪れてみてはいかがだろう。

経度への挑戦―一秒にかけた四百年

経度への挑戦―一秒にかけた四百年