震災時の修了式

 先週の23日(金)に学部4年生の卒業式があり、今週27日(火)には大学院の修了式がありました。今年度も多くの学生が巣立っていきました。彼らについては、落ち着いた頃に記すとして、ここでは昨年の修了生について書きたいと思います。大震災の影響で、式典が中止された特別の年です。

 2010年度の大学院修了生は、私自身にとって、別の意味で感慨深いものがありました。
 私の教育方針として(ちょっと偉そうですが)、学生に対して、目に見える成功体験を得る機会を作ってあげたいというのがあります。
 よく教員は、学生の研究指導をする際、「君の研究がうまくいけば、世界初の快挙だよ」などと持ち上げたりします。しかし、そういう言葉は、どこか空々しく、学生の心に響きません。だいたい、大学で研究しているものは、たいていが世界初です。快挙かどうかは大きな問題ですが、快挙であることは極めてまれです。
 では、目に見える成功体験というのは何でしょうか?もっともわかりやすいものとして、「受賞」があります。私は、研究室の学生に対して、賞にチャレンジすることを推奨し、応援しています。4年生をすべて賞に駆り立てることは、大学院入試や就職活動があるため、現実問題として無理があります。対象は大学院生です。いつのときか、大学院の修了学生すべてがタイトルホルダーであることを夢見ていたりしました。

 2010年度の大学院修士修了学生は5名いました。そしてそのうちの4名が、修士1年のときに何らかの受賞をしていました。無冠だったのは、TO君一人でした。
 TO君は、少し変わった経歴をしていました。I大学教育学部理科専修の出身で、教員志望ではあるのですが、教職に就く前に理系の大学院で本格的な研究活動を行いたいと希望して、私の研究室を受験しました。
 大学院試験では、面接による筆答試験免除の制度がありました。さすがに教員を志すだけあって弁が立ち、志の高さが買われて、試験免除で合格になりました。その際、本気か冗談かわかりませんが、ある教員が言いました。「試験を受けさせたらどうせ落ちるでしょうから、指導教員(私)が責任を持つということで入学させてみたらいかがですか?」
 実際、試験を受けさせたら落ちていたでしょう。そういう意味では、彼とは縁があったような気がします。

 修士2年生になった彼に、何かチャレンジできるものはないかと考えていたとき、他大学のある教員から、IEEE広島支部で行われる学生シンポジウム(第12回IEEE Hiroshima Student Symposium)に何か出してみませんかと誘われました。
 私は早速、TO君に修士研究を発表してみないかと打診しました。その大会には、研究賞とプレゼンテーション賞が用意されていたからです。彼は快諾するとともに、万全の準備に取りかかりました。
 そして大会を迎え、彼は見事に「優秀プレゼンテーション賞」を受賞しました。そうです、大学院入試も面接で突破した彼には天性のプレゼン能力があったのです。

 こうして、私の念願の一つであった「修了学生全員をタイトルホルダーにする」は、2010年度に達成されました。5名の功績をここに記します。

HU君: 第13回LSIデザインコンテスト準優勝,第3回Cellチャレンジ3位,研究科長成績優秀賞
NO君: 第1回GPUチャレンジ最優秀賞,千葉市表彰,学長表彰(課外活動賞)
TN君: 第13回LSIデザインコンテスト準優勝,第3回Cellチャレンジ3位
TO君: 第12回IEEE Hiroshima Student Symposium優秀プレゼンテーション賞
TY君: 第13回LSIデザインコンテスト準優勝

 修了式の2011年3月25日(金)、式典は中止されましたが、研究室の送別会は強行しました。若者は元気です。余震や計画停電にも負けず、送別会は最高潮に盛り上がり、最後に修了生一人ずつに挨拶をしてもらうことになりました。大トリはTO君になりました。
 泥酔で意識レベルが低下したためか、TO君は、感極まった涙をこらえきれずに、つがれた酒を飲み干して、叫びました。
「伊藤研に来て、一片の後悔なし!!」

 私も久しぶりに胸が熱くなったことを覚えています。
 TO君は現在、理科の教諭として、中学生と高校生を教えています。