秋入学の議論は教育上の本質となり得ているか?

 東大が秋入学へ全面移行しようとしているニュースが各報道機関でいっせいに流れた。これについて、朝日WEBRONZAに寄稿した。
http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2012012300011.html?iref=webronza
http://digital.asahi.com/20120127/pages/culture_ev.html

 春を秋にしたからといって、劇的に教育研究環境が良くなるとは到底思えない。現場の教員を無意味に消耗させる議論はやめてくれませんか。そういう趣旨である。もともとのタイトルは表題の通りだが、編集サイドでインパクトを高めるために「秋入学への全面移行に反対する」となって公表されている。
 東大が4月入学をやめて秋入学にすることは、東大の個別の問題であるので口をはさむつもりはない。ただ、なぜ他大学をも巻き込もうとするのか、なぜ報道機関がこれほど大きく取り上げるのかが理解できない。東大の影響力は、国内では、まだかなり大きいので、各大学でも検討を余儀なくされている。つまらない形式論に振り回されるのは勘弁してもらいたいという思いから、自分自身のためもあって、執筆した。「大学改革」という名のもとで、教育現場では、近年、こうした議論が数多く行われている現状がある。

 秋入学のメリットは、国際標準(グローバルスタンダード)に合わせることで国際競争力が高まることだという。もっともな論調に聞こえる。だが、入学時期を諸外国に合わせただけで状況が一変することなど、とても想像できないことは、少し考えてみればわかる。実際、秋入学というのは、大学院ではすでに珍しいことではなく、多くの大学で採用(春入学と併用)されている。けれでも、報道されているようなメリットが顕著に現れている大学を私は知らない。

 論旨から外れるが、今回の報道で少々気になった点がある。「東大単独ならばやらない」という東大総長の談話である。もっともらしい理由が付けられていたが、要は、東大だけで実施になった場合、優秀な学生が他に流れてしまうことへの懸念であることは容易に想像がつく。日本の最高学府としての存在感やプライドがかげりを見せているようで、今回の発表を一層残念なものにしている。良いと思う信念があれば、当然ながら、まずは単独で手本を見せるべきではないのか、と思う。
 一般に知られているのかどうかわからないが、東大は学部入試ではやはり最難関であるけれども、大学院へは、かなり入りやすい大学になっている。ふつう、大学院入試は夏に行われるが、定員の多い東大は冬にも実施される専攻がある。例えば、出身大学の夏受験に失敗した学生が、東大の冬受験に合格して大学院に進学することは、今日では珍しくない。

 世界215カ国の中で、4月入学はわずかに7カ国しかないそうだ。それを良くないと捉えることは、若者を教育する大学の考え方として、いかがなものかと思う。わずか7カ国という圧倒的なユニーク性を活かすという考え方はできないのだろうか。例えば、些細なことなのかもしれないが、個人的には、日本に来る留学生には、もっとも日本らしい桜の季節に入学式を行い、卒業(修了)していってもらいたいと思っている。それも一つの国際交流、異文化交流なのではないかと思うのである。