あとがき

 「今回の大震災はあなたを変えましたか?」
 社会が少しずつ日常を取り戻し始めた頃、テレビ番組でよく耳にした問いかけでした。私自身にとっては、おそらく、「はい」ということになると思います。
 
 最近、「私たちは、自分自身で考えたり、判断したりすることをやめてしまったのでは」と思うことがよくありました。そのことが、今回の大震災で明確に露呈したと思いました。
 誰かの指示がなければ動けないという典型例は、地震の翌日に実施予定だった大学入試試験の混乱によくあらわれています。そのことは本文で書きました。
 現象としては全く逆に見えることもあります。上からの指示は、瞬く間に下まで流れることです。途中で誰も自分自身の判断を入れないからです。
 個人的には、この現象を4月に入って経験しました。
 たまたまですが、私は4月1日付けで副工学部長という職責に就きました。その関係で、4月7日、各学科長が集まる会議に出席していました。会議のメインテーマは、学生全員の安否確認です。大学にとっては最重要の仕事といえます。3月11日以降、努力は続けられていましたが、まだ完全ではなく、もう少しというところでした。
 午後4時を回った頃、「大変ですが、しっかりやって下さい」という議長の言葉で閉会する寸前、一つのアナウンスが追加されました。「夏のピーク時間帯の消費電力削減」について、各学科で対応策を提出して下さい、というものでした。
 驚いたのは締切り時間でした。翌日の正午12時。しかも、本省(文部科学省)からの要請なので「厳守」とされました。
 大学にとって、学生に関わるもっとも重要な作業を進めなければならないときに、とても緊急性があるとは思えない指示が割り込んできたのです。
 さらに驚いたことは、出席されていた当該の先生方から異論が出なかったことです。私はオブザーバー的な立場でしたので、そこでは強く反論できませんでしたが、やっぱり納得ができず、自分の部屋に戻ってから、関係の先生方にメールを入れました。

(2011/04/07 18:49), "Ito Tomoyoshi" wrote:
> ○○先生
> cc: △△各位
>
> 伊藤(智)です。
>
> 先ほどの☆☆会で最後に出ました調査依頼に関しまして、やはり納得がいきません。
>> 「ピーク時間帯の消費電力削減のための対応策案の提出について」
>
> 混乱の中、今日から新入生及び各学年のガイダンスが始まっております。
> 各先生方、事務職員の方々が準備に追われています。
> また、ガイダンスにおいては、被災状況の確認も要請されていると思います。
> そういう、多くの教職員が尽力されている中で、教育業務よりも、
> この調査を優先するという大学のスタンスが理解できません。

(中略)

> こういう、常識とかけ離れた業務体制が、教員及び職員を
> 必要以上に疲弊させているように思います。

 同様のことが社会一般で起こったような気がしました。
 過剰なまでの自粛や、声を上げるべき人が上げないなど、多くのいらだちが目につきました。そのいらだちさえ、自粛の中に消えてしまって、ものごとを推し進める力になることができなかったように思います。

 振り返って自分をみたとき、このまま声を上げなければ、後悔すると思いました。人生において、これだけのできごとに直面することは、そうあることではありません。年齢的にも50歳を前にしており、不遜ながら、社会に意見する責任も感じました。

 4月に入って「レベル7」が認定され、執筆を始めました。
 その直後、個人的にも大きなできごとが起こりました。母親が脳梗塞を起こして救急で運ばれたのです。
 母親は東京の郊外に住んでおり、余震が来るたびに外に出てしまうなど、不安な日々を過ごしていました。高齢の身には、相当なストレスだったのだろうと思っています。母親は、今なお病床にいます。
 今回の東日本大震災の特徴の一つに、犠牲者の半数以上が高齢者という事実があります。助かったはずの命が助からなかったことは本文でも触れました。
 それはなぜなのか。新たな主人公を探し出して、別の側面からも記録を残していければと思っています。

 今回は、もっとも躍動するはずの科学技術者の顔が一向に見えてこなかった「なぜ?」を動機に筆をとりました。牧野さんの「公開用日誌」をもとに、科学者の資質について考察しました。
 牧野さんには「公開用日誌」の使用を快諾して頂き、ここに感謝の意を記したいと思います。
 もし、私の考察が、牧野さんの公開用日誌の魅力を減じていたとしたら、お詫びするとともに、ご容赦頂ければ幸いです。

 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉があります。特に情報化が進んだ現在では、できごとがすぐに過去のものとして扱われる傾向が強くなっています。私は、これからも、「そのとき」にこだわっていきたいと思っています。
 そのことが、震災からの復興の一助になれば、大変な幸いです。

 2011年 7月 伊藤智義