コマの思い出
私が漫画原作を書き始めたのは、1979年、2回目の高校1年生をしているときだった。
入学してすぐに肺結核を患って、半年間、入院した。そのための留年ではあったが、浮いてしまった存在として、気負いと気おくれがあった。年下ばかりの同級生に対して、何か違ったところを見せなければ、と。
そんなとき、学習雑誌に何気なく投稿した文章が読者のページに掲載され、続いて、国語の時間に書いた作文がほめられた。そして私は思った。
「ぼくには文才がある!」
「高校生作家」という言葉の響きは、自尊心をくすぐるのに十分であった。
問題は、どうしたら作家になれるのか、だった。
集英社から青年向け漫画誌として「ヤングジャンプ」が創刊されたのは、ちょうどその頃だった。本屋で立ち読みしていて、あるページに釘付けになった。そこには「青年漫画大賞募集」とあり、「漫画部門」に並んで「原作部門 入選賞金百万円」とあった。
「これだ!」
高校1年生(2回目)の心は高鳴った。
「青年漫画大賞」は年に2回、3月と9月の締切りで募集されていた。それに合わせて、作品を書いては送った。
しかし、何の反応もなかった。
「おかしいな?」と思いながらも、応募を続けた。
そうこうしているうちに高校の3年間は過ぎていき、抱いていた「高校生作家」の夢は、はかなく消えていった。
私は1浪を経て大学に入学するが、どういうわけか、応募はやめなかった。
大学2年生の秋、希望の学科に進学できずに、私はここでも留年することになった。進学しない(できない)学生は、10月の時点で2年前期から1年後期に組み込まれるので、正確には「降年」と呼ばれていた。
どうでもよい話ではあるが、降年の決まった日、私は友人に麻雀に誘われ、追い打ちをかけられるように、「大三元」をふった。
この直後、奇跡は突然起こった。
11回目にして、「青年漫画大賞原作部門」に入賞した。「佳作15万円」。
そのときの作品タイトルが表題であり、シナリオそのものは、下記に公開している。
http://brains.te.chiba-u.jp/~itot/work/singles/koma/koma.htm
ここでは、まだどこにも公表していない逸話を書いておきたい。
同級生だった沢君が、この作品を読んでくれて、絶賛してくれた。
理系だったにもかかわらず、沢君は、大学卒業後、漫画出版社に就職した。
その際、
「あの日、あの作品を読んだから、この道を選んだ」
と言ってくれた。
リップサービスだったのかもしれないが、私は素直に嬉しかった。
沢君は今、「週刊少年チャンピオン」の編集長になっている。
私に少年誌を書く力があるかどうかわからないが、余力ができたら、沢君のもとで力になれたらと、常々思っている。