「将棋電王戦」の憂鬱

 将棋ソフトがプロ棋士に勝ち越した。「あ〜あ、やっちゃったなぁ」という感じで落胆した。

 私は将棋が好きである。小学生のときはそれなりに勉強して、それなりの棋力である。コンピュータを研究テーマの中心にしたとき、コンピュータ将棋にも興味があって、アルゴリズムを解説した本を買ったこともあった。当時は、コンピュータがトッププロと互角に戦える日が来るとは想像すら難しいほどのチャレンジ性の高い研究テーマであった。結局、私自身が研究することはなかったけれど、将棋ソフトはいくつか買った。市販されるようになってしばらくは負けることはなかった。バージョンアップされるごとに、どれくらい強くなったか、対戦してみることが楽しかった。
 ところが、近年の将棋ソフトの棋力向上は目覚ましく、今では市販のソフトを買うことはない。強すぎるからである。フリーソフトでも十分に楽しめる状況になっている。こうなってくると、逆に、将棋という人間の知的競技そのものの行く末が心配になってくる。ソフトを開発してきている方々には敬意を持っている。だけれども、身勝手な見解かもしれないけれど、そろそろコンピュータ将棋の研究は自粛されないかな、と思ったりもした。
 当然ながら自粛されるはずもなく、逆に人間対コンピュータの機運は高まっていった。そして、コンピュータが人間を凌駕する日が訪れた。それは、想像以上に早かった。

 人間同士で知力を競う職業というのはそれほど多くない。代表的なものが将棋と囲碁である。そういうプロフェッショナルな知的競技の魅力が失われていくことに、個人的には大きな憂慮を感じている。例えば、羽生善治が7大タイトルを独占したことがあった。私も普段は買うことのない将棋雑誌を購入し、今でも所持している。今後、そういうスターが再び登場したとしても、もし、コンピュータ相手では手も足も出ないとなれば興味も半減するだろう。
 今回の白熱した対戦で、来年の大会を楽しみにしているファンも多いようである。人間とコンピュータでは思考の形態が違うという考えも散見される。しかし、それは、コンピュータの性能がいまだに衰えることなく向上している状況を、軽く見過ぎている。人間の棋力向上よりもコンピュータの棋力向上の方がはるかに速い。このままの状況が続けば、それほど遠くない将来に、人間は将棋でコンピュータに勝てなくなるはずだ。

 世界的にみれば、チェスがある。1997年、IBMのディープブルーが世界チャンピオンのカスバロフに勝利したことは大きなニュースになった。私はチェスには疎いが、調べてみると、やはり、今日では人間がコンピュータに勝つのは難しくなっているという。
 もっとも手順が多く、コンピュータが人間のトッププロに勝つのは相当先になるといわれていた囲碁もあやしくなってきている。今年から始まった囲碁電聖戦では、4子のハンデ戦ながらも、囲碁ソフトが石田芳夫九段に勝っている。

 21世紀に入って、人間にとってのコンピュータとはどうあるべきかが問われているように感じている。コンピュータは人類史上初めて、頭脳を補佐する本格的な道具として登場した。確かにコンピュータのおかげで、人類の知的生産力は大きく向上した。その一方で、人間は自分自身の頭で考えなくなってきているのではないかという危惧も生じている。
 話が飛躍し過ぎているかもしれないけれど、電王戦の動向は、報道されている以上に大きな出来事のように思っている。