アルファ碁とディープ・ブルー

「機械が知性を持った」「歴史的な転換点」。
 そう聞くと、アルファ碁のことだと思うかもしれません。しかし、そう報道されたのは、IBMのチェス専用スーパーコンピュータ「ディープ・ブルー」が世界チャンピオンを破ったときでした。1997年5月、今から20年も前のことです。

 コンピュータは10年で100倍の性能向上を示していますから、20年で1万倍の差が出ます。当時は、スパコンはパソコンよりも1,000程度高速だったことを考慮すると、皆さんの手にしているスマホは、ディープ・ブルーと同じくらいの性能を持っていることになります。

 皆さんは手元のスマホに知性を感じているでしょうか?
 これはとらえ方の問題で、コンピュータの発展のおかげで、私たちは高度な知的作業を行う道具を手にしました。ところが、知性というと、どこか違和感があります。そこが、人工知能AIの研究の難しさの一つだと思います。

 ディープ・ブルーから20年の時を経て、アルファ碁が登場しました。
 アルファ碁はディープ・ブルーとよく似た振る舞いをしました。2年間かけて世界チャンピオンを倒したことや、その後、速やかに引退したことなどです。
 対局前の世界チャンピオンの強気な発言や、敗北後の憔悴もよく似ています。

 チェスの世界チャンピオンだったカスパロフは、両手を広げて憮然とした表情で対局場を去って行きました。
 私は、当時、NHK特集でその様子を知りました。コンピュータ科学を専門としていたので、歴史的な快挙に胸が躍りました。しかし、ディープ・ブルーを開発した研究者の言葉も胸に残りました。
「世界チャンピオンが呆然としている様子を見て、心が痛みました」

 開発者の苦悩は、「永遠の一手」では康晴に重ねました。
 先駆者は栄誉を手にするとともに、責任も抱え込むことになります。それは、おそらく、多くの分野で当てはまることなんだろうと思います。

 アルファ碁との最終局(第3戦)、その途中で、人類最強の柯潔九段は席を立ち、戻ってきてから、涙をぬぐいました。
 多くのことを物語っているシーンだと思います。

囲碁とコンピュータ

 今日は将棋ではなく、囲碁の状況について、書いておこうと思います。

 アルファ碁の登場で、囲碁界もコンピュータソフトがあっという間にプロ棋士を追い越していきました。「突然」という印象を持った方も多かったかもしれません。ですが、それはあまり正確ではないように思います。

 アルファ碁が登場する前の2013年に、囲碁界でも、トッププロとコンピュータソフトが対局する「電聖戦」が始まりました。その第1回で、4子のハンデ戦ながら、囲碁ソフトが1勝をあげています。 そのことは2013年5月1日のブログでも次のように記しました。

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 もっとも手順が多く、コンピュータが人間のトッププロに勝つのは相当先になるといわれていた囲碁もあやしくなってきている。今年から始まった囲碁電聖戦では、4子のハンデ戦ながらも、囲碁ソフトが石田芳夫九段に勝っている。
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http://d.hatena.ne.jp/yayoi_2011/20130501/1367421092

 そして、今年3月に行われた第5回大会では、注目の若手棋士である一力遼七段に互先(ハンデなし)で囲碁ソフトが勝利しています。

 将棋の電王戦ほど騒がれませんでしたが、囲碁ソフトも着実に力をつけていました。アルファ碁はすごいですが、そこに至るまでの先人の道のりについても知っておくことは大切だと思います。

 そういう意味では、将棋ソフトに関しては、Ponanzaがすごいのはその通りですが、Bonanzaについても、もっと報道されてもよいのでは、と思ったりします。

 私の恩師である杉本先生(理論天文学)は、私が学生時代に、次のようなことを嘆いていました。
「研究の世界では、一番最初にやった人よりも、2番目にやった人の方が有名になることがよくある」

 これは研究に限ったことではありません。これはあの人(あの会社)の業績だと広く知れ渡っているものでも、よく調べてみると、真の先人が別に存在していたということは、意外とよくあります。

 電聖戦は、当初から「最低5年」開催するとされていて、5年を経過した今大会で幕を閉じました。
http://www.nihonkiin.or.jp/news/etc/vsai5.html

史上5人目の中学生プロ棋士

 最近の将棋の話題は、なんといっても藤井聡太四段ですね。昨日も勝って、連勝を26に伸ばしました。すごいですね。

 中学生でプロになった(プロの資格を得た)棋士は過去に4人(加藤一二三、谷川浩治、羽生善治渡辺明)しかいなくて、皆、記録や記憶に残る成績を収めています。中学生でプロ棋士になるということがどれほどすごいことかは、歴史が物語っています。

 藤井四段がプロになったのは「永遠の一手」の連載終了後だったので、本編での「史上5人目の中学生プロ棋士」は羽内将史になっています(第8話)。羽内は「神の領域」と呼ばれるまでの強さを見せつけます。漫画と比較しては失礼ですが、藤井四段には羽内と重なるものを(勝手に)感じ、これからの活躍を楽しみにしたいと思います。

 羽生世代という言葉ができたように、天才の周りには才能豊かなライバルが続々と現れたりします。「藤井世代」という言葉が生まれ、その中から増山一郎のような強力なライバルが出てくるかもしれません。それはそれで、(個人的には)大変楽しみです。

https://twitter.com/yumekutteikt/status/760201305331683328/photo/1
https://twitter.com/yumekutteikt/status/772011154147115008
https://twitter.com/sasanami/status/774635266170458112

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「永遠の一手」本編の最終話が掲載された少年チャンピオン2016年40号は9月1日に発売されました。その2日後の9月3日に藤井聡太三段(当時)はプロ棋士(四段)を勝ち取っています。中学生プロ棋士は歴史上5人しか誕生していないので、ほとんどあり得ないようなタイミングでした。そういう意味でも、記憶に残る9月になりました。

目を持ったコンピュータ − AIの本質

「永遠の一手」の第1話に出てくる将棋ロボット『詰め郎君』には「目」があります。盤面だけでなく、追い詰められていく羽内名人を冷徹に観察していきます。それには理由があります。

 人工知能AIと聞くと、どんなイメージを抱くでしょうか?人間に取って代わる知性でしょうか?
 それはちょっと報道が行きすぎているように思います。少なくとも、コンピュータが意思を持ったわけではありません。

 では、どう考えればよいでしょうか。
 現在のAIについては、「コンピュータが目を持った」という捉え方があります。
 これがもっともわかりやすい表現のように思います。

 人工知能の歴史は70年近くあり、現在のブームは3回目です。第1回目が人間の知能と同じものを人工的に創り上げようとする本来の意味での人工知能ブームです。コンピュータが商用化し始めた1950〜60年代のことです。それはほどなくして挫折しました。
 1980年代に第2回目のブームが起こり、現在の機械学習(さらには深層学習:ディープラーニング)のもととなる人間の脳を模倣したニューラルネットワークというアルゴリズムが登場しました。このブームもほどなくして終焉します。
 第3回(現在)のブームは第2回のブームの延長上にあるともいえます。大きく違うのは、コンピュータの性能が格段に向上したことと、ネットワークの発展によってビッグデータを扱えるようになったことです。

 2012年、グーグルは1000万枚の猫の写真をコンピュータに読み込ませ、猫を認識するAIを作り上げました。「グーグルの猫」として社会に大きなインパクトを与えました。

 どうしてでしょうか?

 それは、人間が教えなくても、コンピュータが勝手に学習して得た能力だからです。
 同じ頃に、IBMの次世代コンピュータ「ワトソン」が登場し、現在では医師が見落とした難病の症例を見つけるなどの活躍を見せています。

 コンピュータは機械学習によって「画像」を評価できるようになりました。人間の「目」では探知できないものまで認識できるようになりました。
「画像」を「盤面」に置き換えれば、将棋や囲碁になります。
 このような分野では、コンピュータは機械学習によって、どんどん性能が向上する(将棋や囲碁でいえば、強くなっていく)可能性があります。

 将棋や囲碁は、さらに有利な状況にあります。
 機械学習でもっとも大変なのは、学習のために与える教師データの用意です。グーグルは猫を識別させるために1000万枚の画像を用いました。これは大変な作業です。
 ところが、囲碁や将棋では、ソフトが十分に強くなりましたので、コンピュータ同士で対局を続けることで、良質な学習データ(棋譜)を無尽蔵に生み出すことが可能になったからです。

『詰め郎君』に目があるのは、現在のAIの象徴でもあります。

https://twitter.com/shinzan_shinzan/status/773875199372431362

プロ棋士と将棋ソフトは協力できるか?

 将棋にしても囲碁にしても、プロ棋士の実力を超えたコンピュータソフトの登場には賛否がありますね。肯定的な意見としては「将棋(あるいは囲碁)の可能性が広がる」というものです。

 私はこの意見に懐疑的です。

 6月12日のブログで書きましたが、アマ五段の樋口君が、将棋を続けられなくなった理由として、序盤の研究についていけなくなったから、ということをあげました。それがすべてを物語っていると思います。30年も前の話です。

 将棋連盟のホームページには、全棋士のデータが載っていて、1年間のプロ棋士の総対局数が1,000〜2,000であることがわかります。
https://www.shogi.or.jp/game/record/archives/2016_result.html

 これくらいの数でも、研究についていけなくなるのが最先端の世界です。

 ところが、コンピュータ同士で対局させれば、桁違いの数になります。ponanzaの場合、1兆局面を見てきたそうです。すごいですね。
http://originalnews.nico/13281

 コンピュータソフトがプロ棋士の上にいて、コンピュータ同士で対局を続けると、もう人間には、ついていけない世界になるような気がします。本編で「コンピュータ同士の公式対局は禁止」としたのは、棋譜が桁外れに増大しないためです。それでも、第4話で描いた田坂九段のような状況になってしまうのではないかと想像されます。

 囲碁の世界では、アルファ碁同士の棋譜が公開され、「意味不明」と騒然となりました。囲碁はゲームの中でもっとも手が広く(複雑で)、コンピュータが人間に追いつくのは、まだ先だといわれてきました。
 しかし、立場が逆転して、コンピュータが人間よりも上に立ってしまうと、その複雑さゆえに、今度は逆に、人間が上位の棋譜を理解することは、ますます難しくなっていくように思います。

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 田坂九段に関しては「捨てキャラでもいいから読者にわかりやすく」という沢編集長のリクエストがありました。しかし、そういう設定にはできず、最後に絡んでもらうことにしました。
 そういう意味では、「冴木ワタル」さんは、一発屋でしたね。すまないと思っています。今後、また何かの作品を創る機会があれば、再登場して頂きたいと思っています。

https://twitter.com/LazyWorkz/status/752832454218526720
https://twitter.com/sasanami/status/778939290742992896

天才の涙

 かつて、芹沢博文という破天荒で天才肌の棋士がいました。私が知っているのは晩年のテレビタレントというイメージのプロ棋士でした。
 何かの番組で芹沢の話になりました。若い頃はめっぽう強くて、二日酔いでも将棋を指せば勝ってしまうというほどで、当然、名人になるものと本人も思っていたそうです。ところが、酒好きが過ぎて将棋がおろそかになっていったといいます。
 芹沢の弟弟子に中原誠(後の永世名人)がいました。ほどなくして、将棋の成績は中原に抜かれてしまいます。そんなある日、芹沢は突然、号泣したといいます。

 このエピソードは本で紹介されていて、当時は読んでいませんでしたが、先日図書館で探したらありましたので、原文をご紹介します。

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 その芹沢博文が、あるとき、激しく泣いた。
 芹沢が屋台のオデン屋で飲んでいて、急に涙があふれてきたというのである。
 そのとき、芹沢は、突如として、
『ああ、俺は、名人になれないんだな』
 という思いがこみあげてきたのだそうだ。

山口瞳「血涙十番勝負」 講談社 1972)より
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 天才は誰かに負けたときに泣くのではなくて、自分自身の限界を自覚したときに涙をこぼすのだというイメージが強く残りました。その自覚は、真剣勝負の後とかではなく、生活の中の、ふとした瞬間に訪れるように思いました。
 当人にとってはひどく残酷な瞬間ですが、そのシーンは熱く胸に迫ります。

 第6話で、このエピソードを羽内将史に重ねました。
 本編の原作は、次の通りです。

○(回想)田舎の公園
 子どもたちが遊んでいる。
 ベンチに座って、その様子をぼんやり見ている羽内。
 ボロボロの身なり。
羽内「あのロボットもあの子どもくらいだったかな…小さかったな…」
『詰め觔君』のかわいいイメージ。
 羽内の目から、突然、涙があふれてくる。
羽内「オレは、負けたんだな…」

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この場面については「すけべえあき」さんが絶賛してくれました。ありがとうございます。
https://twitter.com/sukebeaki/status/819764829577617408
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 羽内は、この十年後に鮮やかに復活します。その十年間は、本編では描きませんでした。
 かつては、増山一郎が羽内将史を一般席から見上げていました。この十年は逆の構図ですね。羽内が一郎を一般席から見つめることになったと思います。自戒や後悔、将棋への熱い思いを胸にたぎらせながら…。
 松島先生の描く羽内将史は大変人気が高いので、「永遠の一手」が大ヒットでもしたら、「羽内将史の空白の十年」をスピンオフ物語として描くのもよいのかもしれませんが、それはちょっと難しそうですね。

「序盤からボコボコにされた」というキーワード

「永遠の一手」の連載が始まってすぐに、将棋の常識としておかしいという指摘がいくつかありました。その一つに第1話の一郎のセリフがあります。

「名人には終盤でボコボコにされた。
 だけど、彗星には…
 序盤からボコボコにされたんだ…」

 将棋で「序盤からボコボコにされる」ということはないという指摘ですね。
 本当にそうでしょうか?
 私は「序盤からボコボコにされる」というのは、本編を描く上での一つのキーワードになっていると思っています。

 もう30年も前になりますが、学生時代の後輩に樋口君というアマ五段がいました。私は何回か対局してもらいましたが、一度も勝てませんでした。樋口君は名門の都立高校で将棋の強豪でならしましたが、大学では将棋を続けませんでした。
「なんで将棋、やめちゃったの?」
ときくと、
「序盤の研究の速さについて行けなくなったので…」
ということでした。
 私は意外に思いましたが、印象的な言葉でした。

 将棋の対局は序盤、中盤、終盤に分けられます。序盤は定跡ベースで進み、中盤から本格的な戦いが始まります。ですから、中盤以降の力量で棋力が決まるように思えます。
 アマチュアレベルでは確かにそうだと思います。少々序盤が下手でも、中盤以降の力量で勝負が決まることが多いと思います。ですが、実力が拮抗したトップアマやプロ棋士ではどうでしょうか。戦いが始まる前に少しでも有利であれば、勝率は高まるでしょう。
 そのため、序盤の研究は日々進んでいきました。長い間、横歩取りは先手有利といわれてきましたが、当時(30年前)、その定跡にチャレンジするプロ棋士が現れました。そして、横歩取りは必ずしも先手有利ではなくなりました。その後、横歩取り定跡が大きく変化していきます。
 ゴキゲン中飛車というのも驚きでした。それまで、振り飛車は角筋を止めて守りに重きを置いた戦法でした。ところが、ゴキゲン中飛車は角交換を恐れない攻めの振り飛車として登場しました。
 定跡を守らない新しい指し手は、数多く生まれています。もし、プロをめざすのであれば、序盤の変化をすべて頭に入れていかなければなりません。「それは無理」というのが、30年前の樋口君の偽らざる心境だったと思います。

 序盤の重要性を示した一局に、2014年に行われた第3回将棋電王戦の豊島七段(当時)の戦いがあります。大会そのものは、5人のプロ棋士が5つの将棋ソフトと対戦して、プロ棋士側が1勝4敗と敗北しました。プロ棋士があげたその1勝こそが豊島七段でした。豊島七段は、中盤の戦いを避けるように、序盤からいきなり終盤になる戦法(横歩取り)を選択しました。そして、序盤の有利をそのまま終盤に持ち込み、完勝しました。

 現在は逆になっていますね。将棋ソフトは、30年前(あるいは数年前)とは比較にならないほど、序盤を複雑にしています。トッププロが「特別に悪い手を指していない」のに負けてしまうほどです。

 本編第7話に、コンピュータ将棋がこのまま進展したら「これまでの定跡をことごとく覆してみせることもできるかもしれません」という康晴の直接的なセリフがあります。現時点で読んで頂ければ、それほど違和感はないように思いますが、いかがでしょうか。

 本編における「序盤からボコボコにされた」というセリフは、プロ棋士を圧倒した将棋ソフトを象徴した意味合いになっているものと私自身は思っています。